小山朝政|源頼朝挙兵から北条泰時執権時まで仕えた、鎌倉幕府の宿老。

小山朝政|源頼朝挙兵から北条泰時執権時まで仕えた、鎌倉幕府の宿老。

2021-09-01

小山朝政(おやま ともまさ)

1155-1238。藤原北家秀郷流。小山氏二代当主。弟に結城朝光
父の小山政光が後妻に「寒川尼」を迎えたことから、頼朝の挙兵に早くから従った。

小山朝政の簡易年表

時期年齢出来事
久寿2(1155)年0誕生
治承4(1180)年26頼朝が小山朝政に参向を求める書面を送る
寿永2(1183)年29野木宮合戦で志田義広を弟長沼宗政と討ち取る
元暦元(1184)年30平家追討の為、範頼軍に属し一ノ谷の戦いに従軍。兵衛尉に。
元暦2(1185)年31頼朝の上洛の意に、朝政は御家人筆頭で応えた
文治5(1189)年35奥州合戦に参加、阿津賀志山の戦いに加わる
建久元(1190)年36頼朝上洛に随行、右近衛大将拝賀の随兵7人の内に選ばれる
建久5(1194)年40朝政の家で弓馬に堪能が御家人を集めて、流鏑馬の作法を記録される
正治元(1199)年45梶原景時の変で連署状に名を連ねる
元久2(1205)年51義兄弟宇都宮頼綱の謀反が疑われ、共に書状を出すが許されず、頼綱が遁俗
承久3(1221)年67承久の乱。宿老として上洛せず関東に。
嘉禎4(1238)年84病を患い死去

小山朝政周辺の系図

小山朝政から系図をちょっと広げると、弓の名手「下河辺行平」が従兄弟だということが分かります。
ただ、この系図での重要人物は、頼朝の乳母だった「寒川尼(頼朝より9歳年上)」です。

         太田行政
  ┌-------┴-----------------┐
小山政光(兄)=============寒川尼(後妻)  下河辺行政(弟)
  ├----┐    |       |       |
小山朝政  長沼宗政  宇都宮頼綱   結城朝光    下河辺行平
  |          [猶子]
小山朝長

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

小山氏ゆかりの地

徳性寺

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