九条兼実(藤原兼実)|頼朝に推挙され内覧に昇りつめた藤原摂関家の重要人物

九条兼実(藤原兼実)|頼朝に推挙され内覧に昇りつめた藤原摂関家の重要人物

2022-04-06

九条兼実(くじょうかねざね)

1149-1207。五摂家のひとつ、九条家の祖。
藤原北家、摂政・関白「藤原忠道」の六男。反平家。兼実が書いた日記「玉葉」が有名。

同母弟に天台座主の「慈円愚管抄を記す)」がいる。

大河ドラマ「平清盛」では、相島一之さんが演じられました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、田中直樹(ココリコ)さんが演じられます。

九条兼実の簡易年表

お公家さんは、京都の中で、家格と自分の昇進をかけて、政敵を追い落としたり、追い落とされたりを繰り返しています。

時期年齢出来事
久安5(1149)年0誕生
仁安元(1166)年18右大臣に進む
承安4(1174)年26右大臣のまま、従一位に昇叙
文治2(1186)年38頼朝の推挙により、摂政・氏長者を宣下される
文治4(1188)年40嫡子「良通(内大臣)」が22才で死去
建久7(1196)年48頼朝の支援終了、後鳥羽天皇との対立もあり
関白の地位を追われる
建仁元(1201)年妻「兼子(藤原季行の娘)」に先立たれる
建仁2(1202)年54出家し円証と号する(浄土宗の法然が戒師)
建永2(1207)年59死去

頼朝の内覧推挙

京からの連絡では、義経追討の宣旨に反対する公卿が多い中、藤原兼実は関東を擁護し宣下が理にかなうとの意見を持つとのこと。[ 文治元(1185)年11月10日 ]

そのようなこともあり、一通の書状を後白河院に奏上した。

文治元(1185)年12月6日条

一.摂政(藤原基通)の事について

内覧の宣旨を右大臣(藤原兼実)に下されるように。ただし氏長者については藤原基通のままとする。

ちなみに、この奏上には左衛門少尉「平知康(義経に同心)」の解官についても書かれています。

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源頼朝との対面

頼朝が上洛した建久元(1190)年11月7日から2日後の11月9日、吾妻鏡には九条兼実と対面した内容の記載があります。話の詳しい内容は書いておらず、兼実の日記「玉葉」にその内容が残されています。

建久元(1190)年11月9日条

鬼の間で殿下(藤原兼実)とのご対面があった。

九条兼実周辺の系図

九条兼実は、藤原北家の中でも、摂政・関白までなれる公家の最上位にあたる家柄の流れです。
京都九条にあった九条殿に住んでいたことが名前の由来。

      藤原忠実
       ├-----┐
平清盛   忠通    頼長
 |     ├------┬-----┬----┐
 盛子===近衛基実  松殿基房  九条兼実  慈円
       |      |     ├----┬----┐
      基通     師家    良通   良経  任子===後鳥羽天皇
                        |
                        道家
                        |
                        頼経(第4代将軍)

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

平家と姻戚関係を結んだ近衛家は親平家松殿家と九条家は反平家の姿勢を取りました。

しかし新平家だった「近衛基実」は20才前後で早死。この基通がまだ若かったため、松殿基房に氏長者の地位が移ります。

以降、基房・兼実とは朝廷内で反平家として行動していきます。

異母兄 松殿基房(藤原基房)

露骨な反平家姿勢だった松殿家は、治承3(1179)年の政変(清盛クーデター)で関白:松殿基房は追放。

親平家だった近衛家とは対立し、異母兄「基実」の子「基通」と氏長者の座を巡って政争。
清盛死後、後白河法皇を幽閉した木曽義仲と結び復権を目指すも、義仲討死で頓挫。政界を引退します。

しかし、公事・故実に通じた博識ということもあり、宮廷内では重んじられました

政敵 源通親(土御門通親)

1149-1202 土御門通親は村上源氏の流れを汲む公卿で嫡流(源氏系公卿では筆頭)

九条兼実に昇進を抑えられていたと考えた通親は、後白河院に進物を献上、大江広元・丹後局との結びつきを強め、大姫入内を試みる頼朝にも接近した。

すべては、九条兼実を失脚させるための行動。

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摂家将軍 九条頼経

1218-1256 九条頼経(藤原頼経)は、九条兼実の次男「良経(よりつね)」の流れ。
2歳で鎌倉へ下向し、後に鎌倉幕府第4代将軍となる。

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九条兼実周辺の系図(俳優追記)

上記のシンプル系図に、大河ドラマ「平清盛」の俳優名を追記してみました。

       藤原忠実
       (國村隼)
        ├-------┐
 平清盛    忠通     頼長
(松ケン)  (堀部圭亮) (山本耕史)
 |      ├-------┬-------┐
 盛子=====近衛基実   松殿基房   九条兼実
(八木のぞみ)(杉村蝉之助)(細川茂樹) (相島一之)
        |       |       ├----┬----┐
        基通     師家      良通   良経  任子===後鳥羽天皇
                            |
                            道家
                             |
                            九条頼経  

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

九条兼実ゆかりの地

東福寺(京都市)

臨済宗東福寺派の大本山です。京都五山第四位。
九条兼実が可愛がって養育した孫の「九条道家」が開山ということで、もう九条家ゆかりのお寺ですね。

最勝金剛院

東福寺の境内?そば?にあるのが特別由緒寺院とされている「最勝金剛院」

墓地の奥にある八角堂が九条兼実の墓、他にも九条家歴代の墓があるようですが、説明板もなにも無いのでwikiやネット情報が元ネタです。

月輪殿下は九条兼実のこと。この付近では地名に月輪が残っています。

興福寺(奈良市)

奈良県奈良市にある藤原氏の氏寺。世界遺産「古都奈良の文化財」。法相宗の大本山。
南円堂は西国三十三所観音霊場の第9番札所

春日大社(奈良市)

世界遺産「古都奈良の文化財」。中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。神使は「鹿」

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