以仁王(もちひとおう)
1151-1180
後白河天皇の第三皇子。全国の源氏に平家打倒の挙兵を促した「以仁王の令旨」を出し、治承・寿永の乱のきっかっけを作った人物。高倉宮とも。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、木村昴さんが演じられます。
以仁王の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
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仁平元(1151)年 | 0 | 誕生(父:後白河天皇) |
応保2(1162)年 | 12 | 天台座主の弟子になるが、師が亡くなり還俗 |
永万元(1165)年 | 15 | 八条院(鳥羽天皇の皇女、後白河天皇の異母妹)の猶子となる |
仁安元(1166)年 | 16 | 以仁王の皇位継承の可能性が消滅 |
治承4(1180)年 | 30 | 源頼政の勧めに従い、平氏追討の令旨を源氏に発する |
平家側に計画が露呈 園城寺から興福寺への移動途中に平家の家人に討たれる | ||
第一王子「北陸宮」は木曽義仲のもとに逃れる |
源行家との関係
令旨を伝達する使者は源行家(源義朝の弟)で熊野に隠れ住んでいた。
源行家は、八条院蔵人(朝廷の機密文書の保管、宮中の儀式などと担当)で以仁王と近い関係にあったとされる。
源頼政との関係
保元の乱と平治の乱で勝者側につき、平清盛に信頼され晩年には従三位(破格の地位)となり公卿となった。
が、二条天皇に仕えた頼政は、高倉-安徳天皇ラインを快く思っていなかったのか?
また、嫡男の仲綱が、清盛の三男「宗盛」に侮辱を受けたからなのか?
以仁王と結んで平氏政権打倒の挙兵を計画した。
以仁王周辺の系図
後白河天皇(第77第天皇)の第一皇子は二条天皇(第78第天皇)。
六条天皇の後、以仁王の異母弟「高倉天皇(第80第天皇)」が即位し皇位継承が出来なかった。
鳥羽天皇
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八条院 後白河天皇======建春門院 平清盛
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以仁王 二条天皇 高倉天皇======建礼門院(平徳子)
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北陸宮 六条天皇 後鳥羽天皇 安徳天皇
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
以仁王ゆかりの場所
園城寺(三井寺)
園城寺(三井寺)は、天台寺門宗の総本山。
延暦寺を山門と呼ぶのに対し、園城寺は寺門という。座主補任問題等でよく延暦寺と抗争した。
以仁王の挙兵時は、園城寺が匿ったため平家軍に焼かれたが、源氏との結びつきが強い寺。


如意越 起点
「平家物語」に、治承4(1180)年、以仁王と源頼政が平清盛に反旗を翻した時に、如意越を通って三井寺に入ったことが書かれています。
三井寺と京都を直結する(三井寺-長等山-如意ヶ岳-鹿ケ谷)重要な道だった。


※如意越起点の石標は、水観寺近くにある拝観受付の手前に設置されています。
高倉宮跡
以仁王の邸宅跡とされる場所、三条高倉にあるために高倉宮と呼ばれました。
ビルの前に大きな石碑が建っていますが、説明板などはありません。
ここに源頼政などが通っていたと想像できますね!

