【案内板】漫画「鎌倉ものがたり」一色先生の足跡板(第2弾)

【案内板】漫画「鎌倉ものがたり」一色先生の足跡板(第2弾)

2020-04-29

前回に引き続いて、クラウドファンディングを活用して鎌倉市内に設置された「鎌倉ものがたり」案内板の第二弾。

「鎌倉ものがたり」一色先生の足跡版(第一弾)の続きにどうぞ。

【案内板】漫画「鎌倉ものがたり」一色先生の足跡板(第1弾)
鎌倉市がクラウドファンディングを活用して、鎌倉市内に案内板を設置するプロジェクト。前回の「鎌倉これあらた(維新)」に引き続いて、鎌倉ものがたり案内板が実施されま…
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案内板がどこに設置されるのか、自分の名前がどの看板に掲載されるのかは、クラウドファンディングをする時点では分かりませんが、そういうのは後のお楽しみということですね。

鎌倉ものがたり 一色先生の足跡版(第2弾)の設置場所地図

今回も鎌倉ものがたり(第一弾)と同じようにgoogleマップに纏めてみました。

鎌倉ものがたり 一色先生の足跡版(第2弾)

亀ヶ谷坂

 亀ヶ谷坂は、鎌倉が天然の要害であることがよくわかる特徴的な名所、切通(きりどおし)の一つです。扇ヶ谷から山ノ内に出る道のため往来が多く、商売でにぎわったことが鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』にも記されていることから、国指定に指定されています。
 「亀ヶ谷」の名前の由来ですが、一説には、むかし、建長寺の大覚池にいた亀が、「たまにはこの世を見てみたい。」とこの坂を上りましたが、坂が急なため上ることができず引き返してきたことから「亀返坂(かめがえりざか)」といわれるようになり、いつからか「亀ヶ谷坂」となったと伝えられています。
 漫画「鎌倉ものがたり」では、数百年を生きる鎌倉の猫の総大将「猫王」の住処として描かれています。猫王は、昔この坂を越えた先に実在した旅館「香風園」で飼われていた2匹の猫があまりにも巨大で面白かったため、2匹のうち1匹をモデルに西岸先生が生み出したそうです。

YouTubeで亀ヶ谷坂を見てみる

名越切通

 名越切通は、鎌倉が天然の要害であることがよくわかる特徴的な名所、切通(きりどおし)の一つです。鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』では、天福元年(1233年)8月18日条に名越坂という名称が確認されています。名越切通は鎌倉の地勢とその外部との連絡状況を示していることが重要であることから、国指定に指定されています。
 名越切通には、山腹を掘った中世の墓である「やぐら」が多くあり、その昔、日蓮上人が「松葉ヶ谷の法難」と呼ばれる襲撃を受けた際に退避した「やぐら」や、切通が跨る逗子市域には、150穴を超える「やぐら」からなる「まんだら堂やぐら群」など、歴史と自然を感じられれる名所が今も残っています。
 漫画「鎌倉ものがたり」では、魔物向けの鎌倉ガイドマップを手に取った人間がトラブルに巻き込まれる第64話「鎌倉観光ガイド」や、一色先生が宇宙から来た魔物に鎌倉案内をする第235話「クラゲ骨なし」で描かれ、作品中では人の言葉を話す「人面岩」がいる場所としても絵が描かれています。

YouTubeで名越切通を見てみる

鎌倉宮(薪能)

 鎌倉宮は明治2年(1869年)、時の明治天皇の思召しにより、建武中興に尽くした大塔宮護良親王(おおとうのみやもりがなしんのう)をお祀りする神社として創建されました。
 近年では毎年、10月初旬に「鎌倉薪能」が境内で行われています。「薪能」は、奈良の春日大社や興福寺が起りとされる、夜間に野外で「薪」に火を灯して能を奉納する神事で、鎌倉では、夏の鎌倉を代表するイベントであった「鎌倉カーニバル」が交通事情などにより中止となったため、何か鎌倉らしい行事を、と昭和34年(1959年)から始まりました。
 漫画「鎌倉ものがたり」では、実在しないイベント「葉山薪能」として、タヌキが演じる薪能が描かれている第268話「葉山薪能」のほか、護良親王(もりながしんのう)が幽閉されたとされる土牢に悪徳不動産会社の人間が閉じ込められるシーンが、第57話「第三の男」で描かれています。

YouTubeで護良親王の墓を見てみる

西御門

 西御門は、かつて源頼朝が御所を建てた「大蔵」(おおくら)の地の西側に位置しており、この御所には、「侍所」(さむらいどころ)「問注所」(もんちゅうじょ)「公文所」(くもんじょ)といった役所が作られ、いわゆる「鎌倉幕府」の武家政治の中心があったため、「大蔵幕府(跡)」と呼ばれています。
 かつて御所があった場所には今、その名残を刻んだ石碑が残されており、御所を取り囲む4つの門「東御門」「西御門」「南御門」「北御門」のうち「西御門」だけが、今もこうして町名に残り、鎌倉のまちの歴史を語っています。
 漫画「鎌倉ものがたり」では、実際の地名「西御門」がそのまま使われて描かれており、「西御門の姫君」と呼ばれる女性が、一色先生の妻、亜紀子夫人に「鎌倉のかぐや姫伝説」を話す第10話「西御門のかぐや姫」に登場します。

北鎌倉

 北鎌倉駅を中心とする、主に町名としては「山ノ内」にあたる地域は「北鎌倉」と呼ばれ、地元の方々や観光客の皆様に親しまれている一方で、「北鎌倉」という名称の由来は意外と知られていませんが、一説では「北鎌倉駅」の名称からともいわれています。
 大船~横須賀間で横須賀線が開通した明治22年(1889年)、今の鎌倉市にあたる地域には「大船駅」と「鎌倉駅」の2駅しかありませんでしたが、近隣住民からの陳情を受けて、新たに駅が建設される運びとなります。
 この陳情の1~2年後には「新駅名に関する意見具申」として、「鉄道唱歌」に歌われる「北は円覚、建長寺」から引用して「北鎌倉駅」はどうか、とする意見が提出され、っこれを受けてかどうかはわかりませんが、駅名称は「北鎌倉駅」に決定。その後、「北鎌倉」の名称が地域に定着していったものと考えられています。
 漫画「鎌倉ものがたり」の中では、建長寺、円覚寺、東慶寺といった名刹はもちろん、鎌倉の地理を象徴する地形である「切通」の一つ、亀ヶ谷切通や、地元の方々には知られていても、観光客の方には知られていない「隧道」(ずいどう)なども描かれ、作者である西岸良平先生の鎌倉への造詣の深さが伺われます。

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