今回は霊光寺にある日蓮関係の石碑を読んでみました。
鎌倉新仏教で有名になった僧は沢山いますけど、日蓮上人ほど、鎌倉で名前を見る宗祖はいませんね。
目次
日蓮上人祈雨旧跡

「日蓮上人祈雨旧跡」石碑の場所
石碑に書かれている文字は?
古称金洗沢ハ此ノ池辺ナリ
文永八年六月天大イニ旱ス幕府良観房忍性ニ命ジテ雨請ノ修法ヲナサシム顕ナシ時ニ日蓮此ノ池畔ニ雨ヲ祈ル惚忽チ甘雨地ヲ霑オストイウ
世ニ伝ヘテ日蓮上人祈雨ノ霊蹟トナスハ此ノ処ナリ
昭和三十一年三月建 鎌倉友青会
昔、金洗沢と呼ばれていたのはこの池の周辺である。
1271年(文永八年)6月、天候が大干ばつに見舞われ、幕府は忍性に命じて雨乞いの加持祈祷をしたが効果が無かった。
その時、日蓮がこの池畔で雨乞いの祈りをしたら、たちまち、雨が降り大地を潤したという。
日蓮上人が雨の祈禱(雨乞い)をしたと世に伝える場所はこの辺である。
昭和31年3月建 鎌倉友青会
この石碑は昭和31年っていう比較的新しい時期に立ったんですね!
鎌倉中心地からちょっと離れてみようとか、思ったんでしょうか。
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
旱:カン、ひでり|雨が降らずからからに乾くこと
顕:ケン、あらわ|あきらか、あらわれること
忽:タチマチ|すぐ、急に、
霑:うるう|うるおう
事前知識(歴史編)
文永八年
1271年。ぶんえい。1264-1275年。
良観房忍性
1217-1303年。鎌倉時代の真言律宗の僧。社会的弱者の救済に尽力。
忍性の雨乞いが成功せず、それを見た日蓮が雨乞いを成功させたが、忍性は日蓮を相手にしなかったそうです。日蓮はかまってちゃんで、忍性は我関せずって感じで面白い二人です(笑)
日蓮上人
1222-1282年。日蓮宗の開祖。
1253年(建長5年) 鎌倉、名越の松葉ヶ谷で布教活動開始
この間、1261-1263年の伊豆流罪を含み、主に鎌倉で活動。
1271年(文永8年) 龍ノ口の法難。最終的に佐渡国へ流罪。
霊光寺(れいこうじ)
日蓮宗。竜王山 霊光寺。鎌倉市七里ガ浜1。
「田辺が池の雨乞い伝説」の場所
霊光寺としての発足は昭和32(1957)年と新しく、明治時代末に、上記の雨乞い伝説の伝説を手掛かりに、霊光寺初代住職が田辺が池周辺を調査したところ、江戸講中が立てた石塔が出土。
そこで、この場所に日蓮上人像と本堂を建立したようです。


本堂へはちょっとした丘陵の上にありまして、観光の人もほどんといらっしゃないので、夏場は蜘蛛の巣とか張りやすいので注意が必要です。