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石清水八幡宮について
貞観元(859)年 奈良の大安寺の行教が宇佐神宮のお告げを受けて勧請したのが始まり。男山の山頂にあるので男山八幡宮とも。
伊勢神宮に次ぐ宗廟(特に君主の祖先の霊をまつった建物)として朝廷に崇敬され、後に武家の信仰も厚く、源氏の氏神として八幡信仰が全国に広まりました。
本ページ下記の地図で見ると良く分かりますが、石清水八幡宮の北側から西側にかけて「桂川」「宇治川」「木津川」が合流し「淀川」になるという、交通の要所に当たります。
ここに神社が建てられた意味が分かりますね!
鎌倉・鶴岡八幡宮へ勧請
康平六(1063)年 源頼義が源氏の守り神として、ココ石清水八幡宮を由比郷鶴岡(由比若宮)に勧請した事に始まります。
また、ココ石清水八幡宮で元服し八幡太郎義家と名乗った、源頼義の子「源義家」は、由比若宮の社殿を修復しました。※清和源氏について
そして、治承4(1180)年に鎌倉入りした源頼朝が現在の地に遷座しました。

2016年、本殿は国宝に
平成28(2016)年に本社 十棟 附 棟札三枚が国宝に指定されました。

石清水八幡宮では、石垣の上全体を「本社」と言って、本殿を初め周りを囲む十棟(本殿、廻廊、西門、東門、楼門、幣殿及び舞殿など)の建築物、棟札3枚も石垣の上にあります。
また「附(つけたり)」とは、本体に関連する物品や資料等のことで、併せて指定しますよ!という意味です。棟札(むなふだ)は、建物の建築や修理の記録を梁などに取り付けた札のこと。
棟札が建築年月の証拠になったりすることがありますね。
松江城の国宝指定は、築城年を記した「祈祷札」(きとうふだ)の再発見があったからだとか。
勅祭 石清水祭(9/15)
毎年9月15日に行われる石清水祭は、石清水八幡宮の中で一番大切なお祭り。
祭礼の当日未明のうちに神霊が、男山山麓の頓宮(一の鳥居を過ぎた場所にある建物)に入り、そこで祭典が行われます。

日本の神社(約8万社)で16社しかない「勅祭」。
天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇陛下からのお供え物(幣帛)を供えに参向される祭典のことで、石清水八幡宮はその一つ。
賀茂祭、春日祭とともに三大勅祭の一つに数えられているそうです。
石清水八幡宮の境内見どころ
頼朝公ゆかりの松
一の鳥居と二の鳥居の間の参道沿いにある松の木。
源頼朝が石清水八幡宮に来た時に植えた松の木だと伝わります。平家を滅ぼして初めて京へ上京した時のことだと思われます。

建久元(1190)年 12月 5日
源頼朝(前右大将家)は石清水八幡宮に参詣した。
と、吾妻鏡には軽く書かれています。メインは後白河法皇へ会うための京への上洛ですから。
松花堂跡
石清水八幡宮の初回訪問ではスルーしてしまったのですが(汗)、石清水八幡宮の社僧だった「松花堂昭乗る(しょうかどう しょうじょう|1582-1639)」が、晩年に草庵を構えた場所。
二の鳥居から三の鳥居へ向かう登り階段の途中にあります。
車やケーブルカーで行くと見れません。

近衛信尹(このえのぶただ)、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と呼ばれました。
※寛永から、桃山時代から江戸時代初期に活躍した能書家
また、松花堂弁当という名前の由来になった人物。
現在「松花堂」と呼ぶ、十字に仕切られた器は、松花堂昭乗が絵具箱や薬箱、煙草盆入れとして愛用していたものだったそうで、それを料理の器にしたらどうだろう?と昭和初期に料亭「吉兆」の人が考えたそうです。
京菓子
走井餅
石清水八幡宮の表参道(一の鳥居前)にある走井餅老舗。
マイカーやケーブルカーに乗ると分かりませんが、八幡宮上の駐車場には小さな売店があります。

もともと江戸時代に大津で創業した茶店。
「走井」というのは大津の名水のことらしいです。井戸かな?
大津が本店で、こっちは明治時代の末に八幡出した支店です。
京都には、こういう歴史を持った京菓子がホントに沢山ありますね!
石清水八幡宮のアクセス
電車の場合
最寄り駅は、京阪電車「石清水八幡宮駅」です。
こんな有名な神社のお膝元にある駅なのに、特急などの速達電車が止まりません・・・。
一の鳥居から三の鳥居まで、表参道を歩くと約30分ほどの登り階段道です。
また、石清水八幡宮参道ケーブルもあり、山頂まで約3分ほどで到着です。
※山頂駅から、石清水八幡宮本殿まではまあまあな距離がありますが・・・。

