等持院の歴史
臨済宗天龍寺派の寺院。京都十刹第一位。
暦応4(1341)年、足利尊氏が夢窓疎石を開山に迎えて衣笠山の南麓に創建しました。

後醍醐天皇の冥福を祈るために建てた、京都五山第一位の「天龍寺」も、開基「足利尊氏」と開山「夢窓疎石」のコンビですね。この二人は個人的にも仲が良かったようです。
2つの寺院を合併
元々、押小路高倉にあった足利尊氏邸が、足利家菩提所「等持寺(南寺|南等持寺とも)」になって、ココの等持院(北寺|北等持寺とも)は等持寺の別院として建立。
その後、2つの寺院は北寺の等持院に合併されました。

等持院の見どころ
拝観料は500円かかりますが、見どころが沢山あります。

霊光殿
建物内は写真撮影禁止になりますが、
足利尊氏の念持仏(地蔵尊)を初め、達磨大師、夢窓疎石像、歴代の足利将軍の木像が安置されていて、圧巻です。
尊氏は「等持院殿」、義満は「鹿苑院殿」、義政は「慈照院殿」っていう戒名も寺名と関連してて面白いですね。
庭園
方丈(福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、その後移設)の北側にある、開山の夢窓疎石が創建当時に構築した庭園。
方丈に上がるときには靴を脱ぎますが、庭園へは用意されているサンダルで散歩することができ、足利尊氏の墓や清漣亭へ行くことができます。


また、この庭園を見ながら方丈では抹茶&茶菓子を頂くことができます(500円)

足利尊氏墓所
方丈の北、中央には足利尊氏の墓(宝篋印塔)が立っています。特に説明板等はありませんでした。

清漣亭(せいれんてい)
方丈北側の築山上に、足利義政好みと伝える茶室「清漣亭」があります。
奥の少し高くなった上段一畳が貴人席。ココに座ると目の前に芙蓉池苑が広がりますね。


足利尊氏の法名
54歳に京都で生涯を終えた足利尊氏は、京都での法名は「等持院殿」ですが、関東では「長寿寺殿」と称されました。
長寿寺(鎌倉)
源頼朝が鎌倉幕府を開いた当初から、鎌倉に居住した「足利義兼」
それ以降、尊氏を含め子孫たちが住んだ場所に足利公方邸旧跡の石碑が建っています。
その鎌倉にも足利尊氏の墓所(遺髪を埋葬したお墓)があり、尊氏没後、父の菩提を弔うため、初代鎌倉公方足利基氏によって七堂伽藍を備えた堂宇が建立されたのが始まりだそうです。


等持院へのアクセス
京都を走る嵐電に、その名も「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」という駅があります。
そこから北側へ徒歩5分ほど住宅街を歩けば、等持院に到着します。
衣笠キャンパスって名前をありますから、裏山が衣笠山って覚えやすいですね!

