慈円(じえん)
1155-1225 天台宗の僧。慈円が記した「愚管抄」が有名。家集に「拾玉集(しゅうぎょくしゅう)」。
父は藤原忠通(摂政関白)、九条兼実が同母兄と、出家したが藤原摂関家一族の人物。
後鳥羽上皇の挙兵に、西園寺公経とともに反対した公武協調の考えの持ち主
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、山寺宏一さんが演じられます。
慈円の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
久寿2(1155)年 | 0 | 誕生(父:藤原忠通) |
仁安元(1166)年 | 13 | 出家 |
治承2(1178)年 | 24 | 法性寺座主になる |
建久3(1192)年 | 38 | 天台座主になる(以降、座主就任は4回) |
承久2(1220)年頃 | 65 | 六十代半ばを過ぎた頃、愚管抄を書く |
小倉百人一首
百人一首の95番目に、前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)で、選ばれています。
天台座主になる前、30歳前後に読まれた歌です。
おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に すみ染めの袖
訳)身の程知らずだが、憂き世の民に覆いかけよう 比叡山に住む僧侶として法衣の袖を
謙遜しつつ、僧侶として仏法の力で国を護って見せると決意した歌です。
慈円周辺の系図
藤原忠通
┣-------┓
九条兼実 慈円
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一条能保の娘=====九条良経 |
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九条道家 ←(後見人) ┛
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藤原頼経(4代将軍)
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
公武協調を理想とした慈円は、後見人となった九条道家(兄兼実の孫)の子、九条頼経(三寅)が鎌倉幕府の将軍として鎌倉へ下向することを期待したという。