源義朝|頼朝、義経の父にして、保元の乱、平治の乱を戦った河内源氏の武将

源義朝|頼朝、義経の父にして、保元の乱、平治の乱を戦った河内源氏の武将

2021-11-19

源義朝(みなもとのよしとも)

1123-1160。

鎌倉幕府を創設した源頼朝の父。
少年期、東国に下向し三浦氏や上総氏などと在地豪族との関係を強めた河内源氏の嫡流。

平治の乱で平清盛軍に敗北し、尾張国野間で家人に裏切られ誅殺される。

大河ドラマ「平清盛」では、玉木宏さんが演じられています。(幼名:武者丸)

源義朝の簡易年表

時期年齢出来事
保安4(1123)年0誕生(父:源為義)
少年期に東国へ下向
安西氏・三浦氏・上総氏の連携庇護を受け成長する
永治元(1141)年19長男:義平誕生。母は三浦義明の娘。
康治2(1143)年21次男:朝長誕生。母は波多野氏の娘。
久安3(1147)年25京に戻り、3男(嫡男):頼朝誕生。母は由良御前。
仁平3(1153)年31従五位下・下野守に任じられる
久寿2(1155)年33大蔵合戦
長男「義平」が弟「義賢(木曽義仲の父)」を討つ
保元元(1156)年34保元の乱
後白河天皇方として平清盛と共に崇徳上皇方と戦い勝利する
平治元(1159)年38平治の乱
信西追討後、賊軍となった義朝らが、官軍清盛軍に惨敗する
38尾張国野間で乳兄弟「鎌田政清」の長田父子に裏切られ殺害

東国下向と源義朝

源義朝は父為義の長男だったが、次男の義賢(木曽義仲の父)を嫡流にするために、東国に下向(つまり廃嫡)したと考えられているようです。

父為義が安房国丸御厨を領地として相続していたためそこへ移り、上総氏の庇護を受け「上総御曹司」に。その後は、安西氏・三浦氏からも庇護を受け、三浦義明の娘を嫁に貰い、三浦半島に近い沼浜(現逗子市沼間)で長男義平を産んで育てたと想像できます。

まだ、頼朝が石橋山の戦いで安房へ逃れた時、まず安西氏を頼れたのはすでに繋がりが有ったんですね。

義朝の最後

平治元年12月27日

平治の乱で敗北した義朝軍は、東国で勢力を挽回するために東海道を下った。
義朝に伴った主な人物は、下記の通り

義朝の息子達:義平(鎌倉悪源太)、朝長(松田冠者)、頼朝
大叔父   :源義隆(陸奥六郎)、平賀義信(新羅三郎義光4男)、源重成(美濃源氏)
家臣達   :鎌田政清(乳兄弟)、斎藤実盛、渋谷金王丸(土佐坊昌俊) 

しかし度重なる落武者への追討軍との戦いで

朝長、源義隆、源重成は深手を負い命を落とし、
頼朝は、一行からはぐれ平家方に捕らえられ、
義平は、一旦離脱し父義朝の死を知ると、京へ戻り潜伏、清盛暗殺を試みるも失敗した。

また、落ち延びることに成功した2人は、
平賀義信:頼朝の挙兵に従い鎌倉幕府の有力御家人となり、
斎藤実盛:後に平家方につき、寿永2(1183)年の源氏方(木曽義仲軍)との戦いで命を落としました

12月29日

乳兄弟の鎌田政清の舅で長年の家来だった長田忠致とその子景致がいる、尾張国野間に身を寄せた義朝たちは、恩賞目当ての長田父子に裏切られ、義朝は入浴中に襲われ死亡。政清は酒を飲まされ殺害された。

翌 正月5日

幼かった渋谷金王丸が、源義朝の死を伝えるため、愛妾だった「常盤御前」の下に到着する

後日談

治承4(1180)年 9月17日

頼朝と千葉常胤率いる一族が合流。

義朝の大叔父だった陸奥六郎義隆の息子「毛利頼隆」が源頼朝と下総国府で会うことになります。
父義隆が平治の乱(比叡山の龍華越)で命を落とした時、頼隆は生まれてわずか50日。

しかし義朝の縁坐に処せられて、千葉常胤に命じて下総国に流されていた。

源義朝周辺の系図

義朝には多くの兄弟、子供たちがいますが、有名で歴史に名前がそれなりに残っている人物を書いています。

源為義
 ├-----------------------------┬---┬---┬
源義朝                           義賢  為朝  行家
 ├ ---┬---┬---┬---┬---┬---┬     |  
源義平  朝長  頼朝  希義  範頼  全成  義経   義仲  

源義朝の弟、源義賢の子供には、将来頼朝のライバルになる木曽義仲がいます。
保元の乱では、父「為義」弟「義賢」「為朝」らと親族内で争い、全員亡くなっています。

源義朝ゆかりの地

法性寺(沼間の旧宅)

鎌倉市の隣である逗子市。

JR東逗子駅の周辺に広がる逗子市沼間には、頼朝の父「源義朝」が少年時代に住んだと言われる「沼浜の旧宅」が有った場所とされています。

長男「義平」の母は三浦義明の娘。
沼間は三浦半島と鎌倉の間に位置していて、義朝が京に戻ったあとも、義平はココを拠点に暮らしていたと考えることができそうです。

寿福寺(鎌倉義朝館)

鎌倉市にある鎌倉五山第三位の寿福寺(臨済宗)

この場所は元々頼朝の父「源義朝」の館が有ったと伝わり、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂と建てたと説明板には書かれています。

岡崎義実は三浦義明の弟で、義朝は三浦義明にとっては婿。姻戚関係にありました。

勝長寿院

勝長寿院は、文治元(1185)年、源頼朝が父義朝の供養のために創建した、頼朝建立3大寺院の一つ。
現在は石碑と、義朝と家人で乳兄弟の鎌田清政の供養塔が置かれている。

勝長寿院|父「源義朝」を弔う為に創建された大寺院(石碑を読む)

今回は源頼朝が創建した「勝長寿院(しょうちょうじゅいん)」の石碑を読んでみました…
1192-diary.com

野間大坊(源義朝の墓|尾張国野間)

平治の乱で平清盛(平家方)に敗北し、東国へ逃げる最中に立ち寄った、野間で、味方と思っていた長田父子に誅殺された、源義朝終焉の場所

野間大坊には義朝のお墓があります。

【尾張国 野間】源義朝公(頼朝の父)終焉の地巡り|愛知県知多郡美浜町野間

今回は愛知県の知多半島まで。源頼朝の父「源義朝」の最後の地、そして、頼朝が伊豆国…
1192-diary.com

関東武士に関するおススメ書籍

おススメ鎌倉グッズ・お土産

PAGE TOP