後鳥羽天皇|新古今和歌集を編纂、承久の乱も起こした、文武両道の人物

後鳥羽天皇|新古今和歌集を編纂、承久の乱も起こした、文武両道の人物

2022-11-11

後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)

1180-1239 第82代天皇、後白河天皇の孫で、安徳天皇の異母弟。
藤原定家らに勅撰集の命を下し「新古今和歌集」を編纂。

鎌倉幕府(北条義時軍)と戦った承久の乱では敗北し、隠岐の島へ流罪、その地でそのまま亡くなりました。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、尾上松也さんが演じられます。

後鳥羽天皇の簡易年表

時期年齢出来事
治承4(1180)年0高倉天皇の第四皇子として誕生
寿永2(1183)年践祚(天皇の位につく)
建久3(1192)年後白河法皇が崩御
建久9(1198)年19土御門天皇に譲位(上皇に)
建仁元(1201)年22藤原定家らに、新古今和歌集の編纂を命じる
建保7(1219)年40鶴岡八幡宮で、源実朝が甥の公暁に暗殺、朝廷-幕府の蜜月が終了
承久3(1221)年42承久の乱
北条義時追討のため挙兵するも敗北、出家し隠岐へ配流
文暦2(1235)年後鳥羽院の環京の提案があったが、北条泰時は拒否
延応元(1239)年60隠岐にて崩御

承久の乱勃発

京都からの飛脚により後鳥羽上皇挙兵の動きが伝えられ、鎌倉に居た追討宣旨の使者が召し出され、有名な御家人に対する北条政子の演説が行われた慌ただしい1日です。

承久3(1221)年5月19日

京都にいた伊賀光季からの5月15の飛脚が鎌倉に到着。このところ院御所内に官軍が集められていると。

後鳥羽上皇の隠岐遠流

承久の乱が終わってから、たったの一か月。
後鳥羽上皇は出家をさせられて、本州から離れた遠流の島「隠岐」へと流されました。

承久3(1221)年 7月13日

後鳥羽上皇は鳥羽の行宮から隠岐国に遷られた。

同年 7月27日

後鳥羽上皇が出雲国大浜湊(美保関付近)に到着。ここで御船に遷られた。

同年  8月 5日

後鳥羽上皇は、とうとう隠岐国阿摩群苅田郷(島根県隠岐郡海士町付近)に到着された。

後鳥羽法皇の崩御

後鳥羽法皇の崩御は、数日後、京都の使者によって鎌倉に伝えられました。
隠岐に遠流となってから、約19年間。ついに京都へ戻ることは出来ませんでした。

延応元(1239)年 3月17日

六波羅からの使者が鎌倉に到着し、去る2月22日に後鳥羽法皇(隠岐法皇)が遠方の島で亡くなられ、2月25日に葬られたと。

後鳥羽天皇周辺の系図

約2歳年上の安徳天皇は平清盛の孫だったため、半ば強引に天皇に。
後白河法皇は、それに対抗して後鳥羽天皇を三種の神器なしに天皇に即位させました。

後白河天皇(77)
 ┣------┓
以仁王    高倉天皇(80)
        ┣------┓
       安徳天皇(81) 後鳥羽天皇(82)
               ┣-------┓
              順徳天皇(84) 土御門天皇(83)
                       |
                     後嵯峨天皇(88)   
                       |
                      宗尊親王

※系図が崩れるときは、画面を横にしてご覧ください。

後鳥羽天皇ゆかりの地(京周辺)

閑院内裏跡

後鳥羽天皇が即位した場所。
豊臣秀吉妙顕寺城跡の石碑と共に説明板がありますが、ほとんど読むことができません。残念!

高陽院邸跡

高陽院は「かやのいん」と読みます。
もともとは、藤原頼道(関白)の邸宅。それ以降、天皇の里内裏としても利用され、1205年から承久の乱まで後鳥羽上皇の御所となり、院政の拠点となった場所。

城南宮

後鳥羽上皇は、ココで城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集めて、鎌倉幕府執権の北条義時追討を図った。

水無瀬神宮

▶ 大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24 | 🅿あり | 公式HP

かつて後鳥羽上皇の離宮があったとされる地に立つ神宮。
後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇を祀っています。

後鳥羽天皇宸翰御手印置文(ごとばてんのう しんかんおていんおきぶみ)

島本町立歴史文化資料館に複製が展示されています。

後鳥羽天皇 大原陵

京都大原の三千院から勝林院の間の道に、後鳥羽天皇の大原陵があります。
隣には順徳天皇陵があって、親子一緒です。

▶ 京都府京都市左京区大原勝林院町 | 🅿なし | 

法華堂

後鳥羽天皇冥福のために建てられた堂宇。後鳥羽天皇大原陵のすぐ側にあります。

後鳥羽天皇ゆかりの地(隠岐)

後鳥羽上皇が19年もの間過ごした隠岐(海士町)では、ゆかりの地がたくさん残っています。
2021年は後鳥羽院が海士町に来てからちょうど800年。
後鳥羽上皇のことを親しみを込めて「ごとばんさん」と呼ぶ海士町は盛り上がっていました。

隠岐神社

▶ 隠岐郡海士町海士1784 | 🅿あり(無料) | 

昭和14年に創建。後鳥羽天皇を祭神とする神社。

後鳥羽天皇御火葬塚

後鳥羽天皇が崩御されたのち、火葬された遺骨は京都(水無瀬神宮?)と、この隠岐神社の近くの山稜に分けて納られました。

行在所跡

もともと、出家した後鳥羽上皇が住んでいた「源福寺」があった場所とされます。
源福寺は、火災などで、移転を繰り返し、現在は隠岐神社へ向かう参道の近くにある細い道沿いにあります。

海士町後鳥羽院資料館

▶ 隠岐郡海士町海士1784 | 🅿あり(無料) |拝観料300円

後鳥羽院の資料を展示している資料館。館内は写真撮影禁止。
隠岐神社の鳥居前にある道路を挟んだ向かい側。

村上家資料館

▶ 隠岐郡海士町海士1700-2 | 🅿あり(無料) | 入館料300円(後鳥羽院資料館との共通券あり)

後鳥羽天皇に仕えた旧家との言い伝えがある村上家。
冬季:12/1~翌2/末までは休館のようです

焼火神社(たくひじんじゃ)

▶ 隠岐郡西ノ島町焼火山 | 🅿? |

後鳥羽上皇を乗せた船が、夜中に方向を見失ったとき、焼火神社から神火が出現して、無事に隠岐へ着岸することができたと伝わっています。

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