舜天(しゅんてん)
1166-1237 初代琉球国王(も伝説の人物で実在を証明する資料は残っていないとのこと。)
父は、琉球に渡った「源為朝(鎮西八郎為朝)」だが、こちらも伝説。
浦添城を拠点に、逆臣を討伐し琉球国中山王に即位した。
江戸時代後期に曲亭馬琴が書いた「椿説弓張月」からの内容が含まれています。
史実とは異なりますのでご注意下さい!
舜天についての簡易年表
舜天については伝説上の人物で、大きな出来事しか残っておらず、細かいことは分かりません。
実在性のついては、研究者の間でいろいろとやっているようです。
時期 | 年齢 | 出来事 |
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1166(乾道2|永万2)年 | 0 | 誕生(父:源為朝、母:大里按司の妹?) |
1180(淳熙7|治承4)年 | 15 | 浦添按司となる |
1187(淳熙14|文治3)年 | 22 | 琉球国中山王に即位 |
1237(嘉熙元|嘉禎3)年 | 72 | 死去 |
按司(あじ)
琉球諸島に存在した称号の一つ。
城(グスク)を拠点とする、地方豪族の首長やその家族の称号として使われる。日本で言うと「大名」的な感じか?
舜天周辺の系図
源為義
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源義朝 義賢 為朝 行家
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源義平 頼朝 範頼 義経 義仲 舜天
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舜馬順煕(しゅんばじゅんき)
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
舜天について、母は大里按司の娘か、白縫姫(為朝が九州にいた頃の妻)とされていますが、父については源為朝以外について候補者がいません。
この伝説が本当であれば、舜天と源頼朝は従兄弟の関係となり、源頼朝が「鎌倉」、舜天が「琉球」を治めるという清和源氏の血筋の良さが光ります。
琉球王統
琉球王統は大きな系統が5つあります。
日本国の天皇とは違い(日本は同じ天皇家が2000年近くも続く世界でも類をみない国)、臣下が国王の地位を奪ったり、臣下に譲ったりといろいろあるみたいですが。。
そして琉球王統全体の初代が「舜天」とされています。
舜天王統(3代|73年間)→舜天はココの初代
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英祖王統(5代|90年間)
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察度王統(2代|56年間)
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第1尚氏王統(7代|64年間)
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第2尚氏王統(19代|410年間)
→19代 尚泰王の時に日本政府に首里城を明け渡し沖縄県が誕生する
舜天ゆかりの地
舜天ゆかりの地は、ほぼ琉球王国です(現在の沖縄県)
浦添城跡
浦添市にある城跡。舜天王時代に創建されたという伝承を持つ。
最寄り駅はゆいレール「浦添前田駅」、拝観料などは不要です。
浦添城跡の南東側に、父「源為朝」の名前がついている「為朝岩」がそびえています。




崇元寺跡
国際通りからほど近い場所にある「崇元寺跡」
琉球王国の国廟で、舜天から尚泰王まで歴代国王の神霊位が祀られていた。沖縄戦(第二次世界大戦)で焼失。
石門のみ修復し、現在は崇元寺公園になっています。


首里城の近くにある「円覚寺」とともに琉球国の名刹。こちらも沖縄戦で焼失。