今回は安国論寺の門前に立っている「日蓮上人」関連の石碑を読んでみました。
石碑にはときどき「皇紀」が記載されますけど、日本人には皇紀がしっくりきますよね。
戦後の敗戦国から皇紀が使われなくなっていったのでしょうか・・・。
目次
日蓮上人草庵阯
「日蓮上人草庵阯」石碑の場所
石碑に書かれている文字は?
建長五年(皇紀一九一三)日蓮上人房州小湊ヨリ来リ此地ニ小庵ヲ営ミ始メテ法華経ノ首題ヲ唱ヘ
正嘉元年(皇紀一九一七)ヨリ文應元年(皇紀一九二〇)ニ及ビ巌窟内ニ籠リ立正安国論一巻ヲ編述セシハ即チ此所ナリト云フ
昭和十四年三月建 鎌倉町青年團
1253年(建長5年)日蓮上人が安房国小湊より来て、この場所に小さな庵で過ごし始め、法華経の首題を唱え、1257年から1260年もの間、岩の洞穴に籠って、立正安国論一巻をまとめた所は、この場所と伝わっている。
昭和14年3月建 鎌倉町青年団
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
巌窟:がんくつ|岩の洞穴
編述:へんじゅつ|文章をつづりまとめること
事前知識(歴史編)
建長五年
1253年。けんちょう。1249-1256年。
後深草天皇、藤原頼嗣、宗尊親王(将軍)、北条時頼(執権)の時代。
正嘉元年
1257年。しょうか。1257-1259年。
後深草天皇、宗尊親王(将軍)、北条長時(執権)の時代。
文應元年
1260年。ぶんおう。1260-1261年。
亀山天皇、宗尊親王(将軍)、北条長時(執権)の時代。
安国論寺(大町)
日蓮宗。妙法華経山 安国論寺。1253年(日蓮が安房より来た時)の創建。
ここに「立正安国論」を書いた場所で知られる「御法窟(または日蓮岩屋)」があります。
安国論寺境内図
直弟子「日朗(光則寺の開山)」の御荼毘所はココに。
また、展望が良い「富士見台」は、日蓮が富士山に向かって法華経を唱えた場所と伝わります。
妙法桜(ヤマザクラ)、サザンカは、共に市の天然記念物です。