【1月25日】初天神・筆供養(荏柄天神社)|鎌倉の祭事

【1月25日】初天神・筆供養(荏柄天神社)|鎌倉の祭事

初天神・筆供養とは?

荏柄天神社のご祭神の菅原道真公(学問の神様)にちなんで始まった神事。

菅原道真公にとって“25”という数字は

生誕日  6月25日
左遷の詔 1月25日 ※大宰府へ
死亡日  2月25日

上記のように縁が深いため、25日を「天神さまの日」に、そして年初めての25日を「初天神」に。
その初天神の日に筆供養も一緒に執り行います。

筆供養の場所・開始時間等

毎年1月25日 於 荏柄天神社(拝殿前) 10:30~

筆供養

まず、拝殿の中で祭事(祝詞奏上等)が執り行われます。
「梅鉢」に積み上げられた筆の焼納は、祭事の結びとして最後に執り行われます。(およそ 11時頃~)

タイミングが合えば、拝殿の左右に咲く古代青軸(左)、寒紅梅(右)が奇麗に見れるかもしれません。

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筆供養の内容

書家や歌人から一般参拝者が持ち寄った愛用の筆や鉛筆を供えて焚き上げ供養、学問・書道の向上を祈願し

ココ荏柄天神社だけでなく、京都の北野天満宮など全国の天神社で行われます。軽く調べただけでも、

道明寺天満宮(大阪) 4月25日 筆まつり
長岡天満宮(京都)  5月5日 筆塚祭
谷保天満宮(東京)  1月25日 筆供養

と、出てきます。

菅原道真について

菅原道真は、天穂日命(アメノホヒ)の子孫で、今で言う所の葬儀を生業にした”土師氏”が出自です。

奈良時代後半に、菅原古人という人が、葬儀に拘ってるとダメだということで、出身地の大和国菅原邑(集落)から菅原氏を名乗るようになりました。

菅原邑は、今の近鉄尼ヶ辻駅の近く。住所も菅原町です。

それ以降は学者を家業として、天皇の家庭教師をしたりして、信頼を勝ち得てきます。

菅原道真は宇多天皇の抜擢を受けて、従二位・右大臣まで上り詰めます。
右大臣は、その上に左大臣(または太政大臣)しかいない、副総理のような立場です。

当時、そんな上層部は藤原氏や臣籍降下した源氏がほとんどで、下級貴族的な菅原氏が右大臣なんて、藤原氏からしたらとんでもないことでした。

そこで、当時の左大臣「藤原時平」が、悪い噂を吹き込んで、菅原道真を九州・大宰府に左遷させます。
役職こそ太宰権帥(長官代理)という上位職ですが、罪人扱いのような感じで太宰政庁には入れさせてもらえないという酷い扱いだったそう。

大宰府政庁跡

失意の菅原道真は大宰府でそのまま死去。そのお墓の上に建っているのが「太宰府天満宮」です。

日本三大天満宮

鎌倉の荏柄天神社は、「日本三天神の一つに数えられてきました」と説明板に書いていますが、誰もが認める固定の2トップ(北野天満宮・太宰府天満宮)を除いては、いろいろ名乗りを上げる神社がありますね。

北野天満宮(京都)

北野天満宮は菅原道真公をご祭神とする約12,000社の天神社・天満宮の総本社。
神様のお告げで、平安京の北西にあたる”北野”の地に創建されました。

菅原氏の嫡流を”北野の長者”というくらい、北野天満宮を菅原氏の関係は強く結びついています。

1月25日は初天神。
1月2~4日には、筆始祭(ふではじめさい)が行われます。

筆供養とは違いますが、筆始祭は書に親しむ人々の技芸の向上をお祈りする祭りです。

大宰府天満宮(福岡)

太宰府天満宮も、全国天満宮総本社と名乗る神社。
菅原道真公の終焉の地として唯一無二の聖地になっています。

太宰府天満宮

残る一つは・・・

日本三天神で検索すると候補が出てきます。

・荏柄天神社(鎌倉)
・大阪天満宮(大阪)
・亀戸天満宮(東京)
・和歌浦天満宮(和歌山)
・防府天満宮(山口)

などなど、諸説あるというか、決め手に欠けるというか。

編集:JTBパブリッシング
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