今回は鎌倉市内にある石碑の中で、荏柄天神社の入口付近にある石碑を読んでみました。
荏柄天神社は鎌倉幕府の前からある古い神社で、石碑の記載内容も多くて読むの大変でしたけど、鎌倉でとても大切にされていた神社だということが分かりますね!
目次
荏柄天神(えがらてんじん)
「荏柄天神」石碑の場所
石碑に書かれている文字は?
倭名鈔當郡ニ荏草ト記セル郷名アリ
今其名ヲ失スレドモ當社附近ノ旧称ナリシガ如シ 草ニかやノ古訓アレバ江がらハ江がやノ轉訛ナルヲ後文字ヲサヘ今ノ如ク改メシモノカ社前ノ松並木ヲ古来馬場ト偁ス
本社ハ元中央ニ菅公束帯ノ坐像 右方ニ天拜山祈誓ノ立像 左側ニ本地佛十一面観音ノ像ヲ安置セシモ勧請ノ年代ヲ傳ヘズ
頼朝公初メテ大蔵ノ地ニ幕府ヲ設ケシ時當社ヲ以テ鬼門ノ鎮神トナス
爾来歴代将軍ノ尊奉セシ所 天文年間北條氏康社前ニ関ヲ置キ関錢ヲ取リテ社料ニ供セシメシ事アリ
徳川氏ノ世ニハ鶴岡八幡宮造営ノ節毎ニ其ノ餘材殘木ヲ受ケテ本社修造ニ抵ツルヲ例トセシト云フ
昭和四年十二月 鎌倉町青年團
倭名類聚抄では、この郡に荏柄と記されている郷名がある
今はその名前は使われていないが、荏柄天神社附近の旧名が荏柄であった。
草には「かや」という古い読み方があり、「えがら」は「えかや」が訛ったもの。後に文字も「えぐさ」から「えがら」へ改められたと考えられる。
荏柄天神社の前にある松並木は、むかし馬場と言われていた。
本殿には、元中央に菅原道真公の束帯姿の座像が、右側には天拝山に祈っている立像が、左側には本持仏である十一面観音像を安置しているが勧請された時期は伝えられていない。
源頼朝が初めて大蔵の場所に幕府を造った時、荏柄天神社を鬼門の神社とし、以降歴代の将軍が尊奉した。
天文年間には北条氏康が荏柄天神社の前に関所を置いて、通行料を取って、荏柄天神社へ提供していた事がある。
徳川氏の時代には鶴岡八幡宮の造営の時には、余った木材を受けて社殿の修復に利用することが慣例となった。
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
轉訛:てんか|本来の発音がなまって変わること。
尊奉:そんぽう|あがめ、したがうこと
事前知識(歴史編)
倭名鈔(倭名類聚抄)
平安時代中期に作られた辞書。
二十巻本に古代律令制における行政区画、国、郡、郷の名称が網羅されている。
菅公
学問の神様で、政敵に騙されて大宰府に左遷された菅原道真のこと。尊称。
束帯
公家男子の正装。
天拜山(天拝山)
福岡県筑紫野市にある標高257.4mの山。
大宰府に左遷された菅原道真公が、何度も登頂して天を拝した伝承に由来する山。
関取場跡
石碑にも書いてありましたが、後北条氏の時代には荏柄天神社の前に関所(関取場)が有ったようですね。
荏柄天神社 徹底解説
荏柄天神社の前には、鎌倉市が設置した神社仏閣説明板があります。
創建の1104年は鎌倉幕府が開くときよりも100年近く前の平安時代。
学校で学ぶ日本史で学ぶ主な出来事としては、1083年の後三年の役、1156年の保元の乱があってその間。
結構、平和な時代が続いた時期だったのかもしれませんね。
日本三天神の一つ?
それによると、太宰府天満宮(福岡)、北野天満宮(京都)と並んで日本三天神の一つに数えられてきたそうですけど、申し訳ないくらいこじんまりした神社です・・・。
でも三天神の一つと自称している神社は他にも何個かあります。たとえば大阪天満宮とか・・・。
梅&イチョウの名所
天神社の社紋はウメ。境内では梅を咲かせる神社ばかりで、荏柄天神社でも1月~2月に咲くウメ(寒紅梅、古代青軸)が有名です。
入り口脇の大イチョウは鎌倉では最も大きいものらしいです。だいぶん年を取ってます・・。
イチョウは1104年の創建時に、神社と共にイチョウの木を植えて神木にしたようです。つまり樹齢は900年!鎌倉市天然記念物に指定されています!
荏柄天神社境内(国史跡)
本殿(国重文)
鶴岡八幡宮の若宮から移された鎌倉時代の貴重な建物です。
豊臣秀吉が徳川家康に命じて社殿の造営をさせたり、徳川家幕府代々の将軍も修理や寄進を行ったようです。
じつはこの本殿は元々鶴岡八幡宮の若宮を移設したものだそう。
江戸時代初期の元和8(1622)年に鶴岡八幡宮の造営で新しく若宮を造るにあたり、元々あった正和5(1316)年再建という鎌倉最古の神社建築を荏柄天神社へ。要はリサイクルですね。
かっぱ筆塚
社殿の左脇に、清水崑の絵で、川端康成筆の石碑。
その奥には「絵筆塚」。横山隆一の呼びかけで現代漫画家のカッパの絵が刻まれています。
ちなみに、漫画家「横山隆一」は鎌倉駅前に土地を持っていて、今のレストラン「ガーデンハウス」、御成町のスターバックスは横山隆一の自宅跡です。
で、実は「絵筆塚」は、藤子F不二雄先生の出身地で、銅の鋳造技術が有名な高岡市(高岡城址公園)にも同じものがあります。面白いですね!
尾崎迷堂句碑
尾崎迷堂(1891-1970)は僧侶で俳人。本名は尾崎光三郎(こうざぶろう)。
鎌倉の杉本寺(大正14~昭和17年)、逗子の神武寺、大磯の慶覚院(ここで死去)の住職に。
俳句は高浜虚子が選者を担当した「国民新聞」投句から始まったと説明板には書いています。
「雨滴」という句集があって、十二所、英勝寺、荏柄天神社、八幡宮実朝忌など鎌倉に関する句が説明板に載っています。
荏柄天神社の祭事
初天神(筆供養)
1月25日 10:30~
祭神の菅原道真にちなんで始まった神事。菅原道真は生誕も死亡も25日なので、その年初めての25日に行われます。
書家や歌人から一般参拝者が持ち寄った愛用の筆や鉛筆を供えて焚き上げ供養します。
初天神はココ荏柄天神社だけでなく、京都の北野天満宮など全国の天神社・天満宮で行われます。
針供養
2月8日 10:30~
「事八日」に1年間お世話になった道具を片付け、供養する風習があり、その代表的な道具が針。使い古した針にねぎらいと感謝を込めて行う神事。拝殿で神事が執り行われた後、拝殿前に置かれた豆腐に針を刺して供養します。
12月8日と2月8日を「事八日(ことようか)」といい、この日が事を始めたり納めたるする大事な日。
他の神社では豆腐の代わりに「こんにゃく」とかで行う所も。最後は柔らかい物を刺すことでお疲れ様ということでしょうか。