今回は極楽寺坂(鎌倉市坂ノ下/鎌倉市極楽寺)にある「星月井」の石碑を読んでみました。
この近くには「星月井」交差点もあるくらい、地名として使われている有名なところですね。
昔は昼間でも井戸に星影が見えたけど、今は全く見えなくなった。その理由は・・・。
目次
星月井
「星月井」石碑の場所は?
石碑に書かれている文字は?
星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ言フ 鎌倉十井ノ一ナリ 坂ノ下ニ属ス
往時此附近ノ地老樹蓊欝トシテ晝尚暗シ故ニ偁シテ星月谷ト曰フ
後轉ジテ星月夜トナル井名蓋シ此ニ基ク里老言フ古昔此井中晝モ星ノ影見ユ故ニ此名アリ
近傍ノ婢女誤ツテ菜刀ヲ落セシヨリ以来星影復タ見エサルニ至ルト此説最モ里人ノ為メニ信ゼラルルガ如シ
慶長五年六月徳川家康京師ヨリノ帰途鎌倉ニ過リ特ニ此井ヲ見タルコトアリ以テ其名世ニ著ハルルヲ知ルベシ
水質清冽最モ口ニ可ナリ
昭和二年三月建 鎌倉町青年團
星月夜の井戸は、また星ノ井とも言う。鎌倉十井の一つで、坂ノ下にある。
当時、この付近は古木や草木が生い茂り昼でも暗かったので、星月谷とも言った。
その後転じて、星月夜と言われるようになる。井戸の名前もこれに基づく。
この里の老人が言うには、昔この井戸は昼も星影が見えたので、この名前があると。
この井戸近くのお手伝いさんが誤って野菜包丁を落としてから、星影を見ることが出来なくなった。
この言い伝えが里の人に最も信じられていたようである。
慶長5年6月徳川家康が京から戻る途中鎌倉によって、この井戸を見たことがあり、これにより世に知られることになった。水質は清く冷たく飲料水として良かった。
昭和2年3月建 鎌倉町青年団
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
蓊欝:おううつ|草や木が盛んに茂っているさま
晝:現在の「昼」
轉:テン、ころ|ころがる、うつる、めぐる
蓋:ガイ、ふた|上から覆いかぶせる、覆い
婢女:はしため、ひじょ|召使の女
京師:ケイシ|みやこ、都
事前知識(歴史編)
慶長五年
1600年。けいちょう。1596-1615年。安土桃山時代と江戸時代。
関ヶ原の戦い(徳川家康 vs 石田三成)が起った年ですね。
鎌倉町の町章「星月」
鎌倉市の前身「鎌倉町」の町章は星月マーク。鎌倉市内に何ヶ所か残っています。
鎌倉十井
星ノ井(ほしのい)も鎌倉十井の一つです。
星月夜(ほしづきよ)が、歌・謡曲なんかで「鎌倉」「鎌倉山」を導く語、なんだそうです。