鎌足稲荷神社(鎌倉市浄明寺)|鎌倉の秘境&藤原鎌足ゆかりの地

鎌足稲荷神社(鎌倉市浄明寺)|鎌倉の秘境&藤原鎌足ゆかりの地

今回は、鎌倉五山第五位で有名な「浄妙寺」のちょっと奥まったところにある、鎌足稲荷神社をご紹介します。浄妙寺には何回も行ってますが、全く気づきませんでした・・・

鎌足稲荷神社(かまたり いなり じんじゃ)

鎌足稲荷神社へのアクセス

鎌足稲荷神社へ行くには、浄妙寺の山門をくぐらずに、浄妙寺の右側を本堂側(山側)へ歩いて行きます。
すると、右側へ上る石段が見つかりますので、それを登ります。

鎌足稲荷神社への石段は、加工しやすい鎌倉石で作られているため、今までいろんな人が歩いてかなりすり減っています。特に下り場合は滑りやすいですから、手すりを持って慎重に。

鎌足稲荷神社の境内

浄妙寺からほど近い場所なんですけど、木々に囲まれて静かな場所です。
鎌足稲荷神社は、いろんな町にポツンとある小さな祠のような稲荷神社。

ただ、なかなかの有名人が関与している稲荷神社のようです。鎌足ってあの藤原鎌足ですからね!

この鎌足稲荷神社の説明板の下の方に、
鎌倉の地名は、鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています。と書かれています。

あの大化の改新の主人公「藤原鎌足」が、鹿島神宮へ行く途中に鎌倉(由比ガ浜)に泊ったなんて。

鎌足稲荷神社の奥は行けないように、規制線(ロープ)が張られていますが、やぐらのようなものが見えますね。

ただ、人気も無くて静かで、木々に囲まれて薄暗いので、あまりウロチョロしたくはないですが・・・。

ちなみに浄妙寺には藤原鎌足像が祀られているようです。

多くの鎌倉のガイドブックには掲載していない場所ですけど、鎌倉の地名の由来の一つになった場所ですから、浄妙寺に行ったついでに寄ってみると面白いと思います。

藤原(中臣)鎌足の伝承

藤原(中臣)鎌足は中大兄皇子の信頼を得て共に、宮中(飛鳥板蓋宮)で専横著しい蘇我入鹿を討ち、翌日蘇我蝦夷が自邸に火を放ち自害して蘇我本宗家が滅亡した「乙巳の変」において活躍した有名な人臣です。

鎌倉にもすこしゆかりがあるようなので、少しだけ深堀してみます。

鎌足の出生地について

飛鳥時代に活躍した藤原鎌足の出生地は2つの説があります。

一つが現在の明日香村(根拠:藤氏家伝)にある「大原神社」。近くには産湯の井戸と伝わる場所も残されています。そして、その近くには鎌足の母「大伴夫人の墓」と伝わる場所もあります。

もう一つが常陸国鹿島(根拠:大鏡)です。

ここに武甕槌大神を祀る鹿島神宮がある場所で、藤原氏の氏神「春日神」を祀っている奈良にある「春日大社」の4柱のうち1柱が武甕槌命と同じ神様。ゆかりがあっても全くおかしくありません。

ちなみに、鎌足稲荷神社へは藤原氏にとって大切な「鹿島神宮」への道中に立ち寄ったということですね。

藤原鎌足の系図

中臣鎌足は天智天皇から藤原姓を頂くまで名乗っていた名前。
そして、藤原姓を頂いたは死去の直前(前日?)ということなので、ほとんど中臣鎌足として活動していたことになります。

妻は鏡王女。子供にはこれまた有名な藤原不比等がいます。

中臣御食子=====大伴智仙娘
       |
      中臣鎌足=====鏡王女 他
            ┣----┳-------┳
            定恵  藤原不比等    |
                 |     (玄孫まで下る)
                藤原四兄弟    |
                        染谷時忠(由比の長者)
                         |
                         良弁(東大寺開山)

そして鎌倉ネタとしては、飛鳥・奈良時代にかけて由比の長者として知られる「染谷時忠」が、石碑の説明によると藤原鎌足の玄孫と伝わっているようです。

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妻:鏡大王(かがみのおおきみ)について

中臣鎌足の妻である鏡大王は、以前「中大兄皇子(後の天智天皇)」の妻だったようです。
近江国野洲郡鏡里にいた豪族「鏡王」の娘で、あの天才女流歌人「額田王」の姉にあたるとされています。

鏡大王は夫鎌足の病気平癒を願い、興福寺の前身「山階寺(京都市山科区)」を建立した人物です。天智天皇は大津京に居ましたから、そこに近い場所にお寺を建てたようですね。

墓地は桜井市忍坂。舒明天皇(天智天皇・天武天皇の父)と大伴皇女墓(推古天皇の姉妹)の近くにあります。

「藤氏家伝」:藤原鎌足、定恵、不比等(ただし現存せず)の伝記、著は藤原仲麻呂(恵美押勝)
「多武峰縁起絵巻」:多武峯談山神社の縁起絵巻
「大鏡」:紀伝体の歴史物語、平安時代の後期に成立

著:遠足プロジェクト
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