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皇子大神(おうじおおかみ)
藤沢市葛原というところに皇子大神(おうじおおかみ)という、参道が長い神社があります。
「皇子」とは天皇の息子の事。
名前の通り、平安京を開いた桓武天皇の皇子「葛原親王」を祀っている神社です。
ご祭神
葛原親王(かつらはら、かづらはら、かずらわら等)、素戔嗚尊(すさのうのみこと)
親王だけじゃなく、素戔嗚尊も祀られています。
素戔嗚尊は祇園社(現、八雲神社や八坂神社等)のご祭神。合祀された可能性がありますね。
ちなみに2023年度は、
9月第一日曜日 葛原皇子大神例大祭に伴い「八坂神社」神輿渡御が行われるようです。
神紋は、天皇陛下および皇室を表す「菊紋」
祭事が書かれた案内板はありますが、ご祭神や由緒などが書かれた案内板は見当たりませんでした。
葛原(くずはら)の地名の由来
説明板には「諸説あり」と断っていますが、2つの説が書かれています
その1:葛原親王下向 説
桓武天皇の第三皇子「葛原(かつらはら)親王」が相模国に下向し、この地にいたので高座郡の名が起こり、また葛原としたという。
高座郡って、”高”い位の人が”座”った(居た)って意味だったんですね!
その2:葛原親王の玄孫 説
葛原親王の玄孫「垂木主膳正従四位下長田武蔵守平忠望」がこの地に住みに、垂木の御所と称し、忠望の祖先である葛原親王を鎮守として王子権現と崇めたため。
両方とも、葛原親王関連であることは間違いなさそうですね!
鎌倉市にある葛原岡も関係?
源氏山の山頂付近にある葛原岡神社、後醍醐天皇の忠臣「日野俊基」を祀っている神社ですが、その神社名になっている地名「葛原岡」は、上記の葛原親王が由来とする説があるようです。
梶原景時の祖先「梶原景成」が、祖先の「葛原親王」を祀った社をこの地に建てたのが由来だとか。
梶原景時は桓武平氏の流れを組みますので、その桓武平氏の皇子で、ここ相模国に所縁がある「葛原親王」が関わっても何ら不思議ではありません。
桓武平氏の流れ
鎌倉市の隣、藤沢市村岡地区には桓武平氏を祖に持つ「村岡五郎良文」の墓がある二伝寺があります。
ここから、鎌倉党、三浦氏、北条氏、など、源頼朝を支えた坂東武士が出てきます。
ニ伝寺(藤沢市)
御所見北部の歴史と地名(案内板)
藤沢市には、場所場所に、下記のような文化財ハイキングコース案内板が設置されています。
※鎌倉市に近い村岡地区にもあります。
時代はまとまっていませんが、近くにある史跡を巡ることが可能です。
個人的には、用田中条に中将姫伝説が残るとか、とっても興味を惹かれます。