今回は鶴岡八幡宮にある源平家の石碑を読んでみました。
遠くから見ると、何が書いてあるか全くわかりませんね(汗)
でも近くから見ると奇麗に掘られた文字は見えますよ。白く塗ってほしいところですね。
目次
源平池(石碑)
「源平池」石碑の場所
石碑の詳細な場所としては、平家池側にある「茶寮 風の社(日影茶屋監修)」入口付近です。
石碑に書かれている文字は?
源平池
壽永元年(紀元千八百四十二年)四月源頼朝ノ命ニヨリ専光坊並ニ大庭平太景義等奉行シテ境内ニ池ヲ堀リシコト東鏡ニ見ユ
一説ニ夫人政子頼家ノ興隆ヲ祈請シテ此ノ地ヲ營作セシメ東池ニ白蓮西池ニ紅連ヲ植ユ
源平ノ旗色ヲ表ハシタリト傳ヘラレ源平池ノ名アリ
昭和十二年三月建 鎌倉町青年團
源平家
1182年(寿永元年)4月源頼朝の命令により、専光坊と大庭景義らが担当者(責任者)となって、鶴岡八幡宮の境内に池を掘ったと吾妻鏡に書いている
一説には、妻の北条政子と源頼家の興隆を祈願して、この池を作り、東池に白い蓮を西池に赤い蓮を植えた
源平の旗の色を表したものと伝えられ、源平池という名前が付いている
昭和12年3月建 鎌倉町青年団
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
※特に難しい漢字等は出てきませんでした。
事前知識(歴史編)
専光坊
専光坊良暹(りょうせん)。伊豆山権現の住僧で源頼朝の師。
大庭(平太)景義
1128?-1210年。大庭景義。武将。鎌倉景正の曾孫。
若いときに「源義朝(頼朝の父)」に忠誠を誓う。頼朝挙兵時には頼朝の家来となる。
弟には、頼朝挙兵時に平氏側についた大庭景親がいる。
源平池
旗上弁財天の入口に説明板が設置されています。
石碑と同じように、寿永元年(1182)大庭景義に命じ境内の東西に池を掘らしめ・・・と書かれています。
大庭景親は、保元の乱で敵方に討たれた矢のせいで歩行困難になっていて、源平合戦には加わってはいませんが、建築に詳しかったのか、多くの建築関係の仕事で頼朝に奉公しています。
旗上弁財天がある方が源氏池です。
ちなみに、源氏池には3つの島、平家池には4つの島があることは有名で、源氏池の3は「産」、平家池の4は「死」を表していると伝わります。源氏が栄えて、平家は滅亡せよとの願掛けですね!
源平池の花
源平池では周りを囲うように咲く「サクラ」と、夏になると池一面に生える「ハス」が奇麗です。
時期が良かったら花筏も見れますよ。