犬懸上杉家|永享の乱に繋がる鎌倉公方との対立、上杉禅秀の乱ゆかりの地(石碑を読む)

犬懸上杉家|永享の乱に繋がる鎌倉公方との対立、上杉禅秀の乱ゆかりの地(石碑を読む)

2020-06-03

今回は浄明寺に建っている「犬懸上杉家」に関する石碑を読んでみました。
室町時代の鎌倉の状況について、結構詳しく知ることができる内容で、為になると思います!

場所的にも、この付近に「犬懸ヶ谷」って地名がありますね。

上杉朝宗及氏憲邸址

上杉朝宗及氏憲邸址

上杉朝宗及氏憲邸址の石碑場所

石碑に書かれている文字は?

朝宗ハ足利氏満、満兼ニ歴任シ入道シテ禅助ト称ス、人稱シテ犬懸ノ管領トイフ其子氏憲嗣テ持氏ノ執事トナリ入道シテ禅秀ト称ス、然ルニ後持氏ト隙アリ應永廿三年氏憲ハ持氏ノ叔父満隆等ト謀リ満仲ヲ奉ジテ兵ヲ起セシモ遂ニ敗レ翌年四月一味ト共に雪ノ下ノ鶴岡別當坊ニ自害ス此所ハ即チ其邸ナリ

昭和十年三月 鎌倉町青年團建

上杉朝宗(ともむね)は足利氏満・満兼に仕えて出家し禅助と呼び、犬懸の管領と言う。その子「上杉氏憲」が後を継いで足利持氏の執事となって出家し禅秀と呼んだ。その後、持氏と仲たがいし、1416年(応永23年)上杉氏憲は足利持氏の叔父「足利満隆」らと計画し足利満仲を立てて兵を起こしたが敗れて、翌年4月に一族と共に雪ノ下の鶴岡別当坊にて自害した。ここは氏憲(禅秀)の自宅があった跡。

昭和10年3月 鎌倉町青年団建てる

事前知識(漢字・用語編)

人稱:人称:三人称、「彼ら」など
 :ツグ:あとつぎ
廿 :にじゅう、はたち

 「廿」の文字は、最近、御朱印の日付でよく見かけますね。

事前知識(歴史編)

鎌倉公方系図

基氏(初代)-氏満(2代)-満兼(3代)-持氏(4代)
                    -満仲(後、満隆養子へ)
             -満隆(氏満3男)

上杉朝宗

1337-1414年。犬懸上杉家3代当主。満兼の死去に伴い上総国へ隠居・出家。
足利氏満からの信頼厚く、朝宗一代で犬懸上杉家の勢力を山内上杉家と肩を並べるまでになった。

上杉氏憲(禅秀)

?-1417年。1411年上杉憲定(山内上杉家)の跡を継いで関東管領に就任。上杉禅秀の乱を起こす。
足利持氏とソリが合わなかったみたい。

足利氏満(第2代鎌倉公方)

1367-1398年。父は足利基氏(初代鎌倉公方)。海蔵寺は氏満の命により上杉氏定(扇谷上杉家)が建立。

足利満兼(第3代鎌倉公方)

1378-1409年。

足利持氏(第4代鎌倉公方)

1398-1439年。
別願時は足利一族が信仰し、鎌倉公方代々の菩提寺として栄えた。

足利持氏の供養塔(別願時)

應永(応永)廿三年

1416年。応永は1394年~1428年。後小松天皇・称光天皇の時の年号。

足利満隆(氏満3男)

?-1417年。第2代鎌倉公方「足利氏満」の3男。満兼は兄。持氏を補佐。

足利満仲

?-1417年。父は第3代鎌倉公方「足利満兼」。持氏の異母弟。満隆の養子へ。

上杉禅秀の乱(1416年)

上杉禅秀の乱の概要

この乱のキーパーソンは「上杉禅秀(氏憲)」と「足利満隆」の二人でしょうね。

鎌倉公方の3男だったので公方になることは叶わず。
1409年 3代鎌倉公方だった、兄の「足利満兼」が32才で死亡。長男の「足利持氏」はまだ12才。

そこため、足利満隆は一門の最長老となって、念願?の実権を握ることになります。

1411年 関東管領側では上杉憲定(山内家)が病気で辞任すると、替わって上杉禅秀が就任。
ここに「足利満隆-上杉禅秀」の支配体制が完了。

1415年 18歳になった足利持氏は禅秀の家人の所領を突然没収し対立。禅秀は関東管領を更迭されたため、
足利満隆と相談して持氏に反乱を起こす。これが「上杉禅秀の乱」

「足利持氏&山内上杉」vs「足利満隆&犬懸上杉(禅秀)」の対立の構図ですね。

始めは、持氏&山内上杉連合が敗北し駿河国へ逃亡。
しかし、室町幕府が「足利持氏」指示を表明すると、禅秀側に離反者が続出し敗北、鶴岡八幡宮奥にある二十五僧坊で自害という顛末。

上杉禅秀(氏憲)が自害した二十五僧坊

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今回は北鎌倉方面から鶴岡八幡宮へ向かう途中(巨福呂坂の終点近く)に置いてある「二…
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室町幕府と鎌倉公方、関東管領の三者が絡むややこしい権力闘争ですね。

上杉禅秀供養塔(報国寺)

竹寺で有名な報国寺、上杉氏の菩提寺ということもあって、境内には上杉禅秀と書かれた卒塔婆が。
その手前にある石塔が供養塔かなにかでしょうか?

藤沢敵御方供養塔

藤沢の遊行寺(清浄光寺)に、上杉禅秀の乱の勝者である「足利持氏」が発願主となって造立した供養塔があります。

藤沢敵御方供養塔

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