鎌倉と万葉集|日本最古の歌集から、奈良時代の鎌倉を想像してみよう!

鎌倉と万葉集|日本最古の歌集から、奈良時代の鎌倉を想像してみよう!

万葉集とは

万葉集は、奈良時代の終わりの頃に完成した日本で最古の歌集です。全20巻で約4,500首も収録しています。
「令和」という新元号の出典として、関連本も沢山出版されて一時ブームになりましたね!

そういう自分も、万葉集に関する本を購入して読んでました。

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鎌倉ゆかりの万葉集4首

万葉集には、鎌倉ゆかりの歌が4首掲載されています。

そこには「鎌倉(可麻久良)」「鎌倉山」「鎌倉の美奈の瀬川(笹目町付近から流れていたと考えられている)」など鎌倉の地名が載っていて、奈良時代には「鎌倉」という名称が使われていたことが分かりますね!

鎌倉ゆかりの歌4首の内3首が、巻14に納められています。
万葉集には1巻ごとにテーマがあって、鎌倉の歌が掲載されているのは14巻「東歌」です。

それでは一つ一つ見ていきましょう。

1.鎌倉(可麻久良)

まずは、鎌倉(原文では可麻久良)と読まれている歌。
鎌倉に住んでいる女性が、恋い慕う男性に、一途な思いを読んだ歌のようですね。

よみ:鎌倉の 見越しの崎の 石崩(いはくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ
原文:可麻久良乃 美胡之能佐吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 己許呂波母多自

巻14-3365 読み人知らず

意味:私があなたを思う気持ちは、鎌倉の見越しの崎の岩が崩れて(気持ちが崩れ)、心変わりしてあなたが悔やむような、そんな気持ちにはなりません!!

「見越しの崎」は今で言う、霊仙山・稲村ケ崎と考えられているようです。

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2.鎌倉の美奈の瀬川

原文には 美奈能瀬河とありますが、稲瀬川か水無瀬川のどちらかと考えられています。

この歌は、女性が可愛いから夜這いしに行こう!みたいな歌ですね。もしくは妻の所へ行くのでしょうか?
源氏物語に出てくる光源氏かよ!とツッコミたくなる内容。

よみ:ま愛(かな)しみ さ寝に吾は行く 鎌倉の 美奈の瀬川に 潮満つなむか
原文:麻可奈思美 佐祢尓和波由久 可麻久良能 美奈能瀬河泊尓 思保美都奈武賀

巻14-3366 読み人知らず

意味:あの娘がとても可愛いくて、夜を共にしに行こう。鎌倉の水無瀬川は潮が満ちてはいないだろうか。

稲瀬川はかつて鎌倉の境だったところです。
ここに建っている稲瀬川碑の最初に、万葉集に書かれている川は稲瀬川だ。と書かれています。

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3.鎌倉山

鎌倉山という言葉で出てきますが、これは今で言う地名の「鎌倉山」ではなくて、鎌倉にある山(丘陵)全体、もしくは一部を指していると思われます。

男性が女性に片思いしている状況なのでしょうか?例えが面倒くさいですね・・・。

よみ:薪伐(こ)ゆる 鎌倉山の木垂(こだる)木を 松と汝(な)が云はば 恋ひつつやあらむ
原文:多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟

巻14-3433 読み人知らず

意味:薪(たきぎ)を伐(か)る鎌、その名前が付いた「鎌」倉山の枝が垂れる木(男性)に、君が「(松)待つわ」と言ってくれたなら、これほど恋焦がれることはないのに。

4.相模国鎌倉郡の防人

この歌には鎌倉の地名は出てきませんが、鎌倉出身の丸子連多麻呂(まろこのむらじ たまろ)が詠んだ歌。
母を鎌倉に残し、防人として海を渡ろうとしています。

よみ:難波津に 装ひ装ひて 今日の日や 出でて罷らむ 見る母なしに
原文:奈尓波都尓 余曾比余曾比弖 気布能比夜 伊田弖麻可良武 美流波々奈之尓

巻20-4330 防人歌 

意味:いよいよ今日、この難波津(大阪)より完全武装で出航します。この晴れ姿を、故郷の母に見せたかったな

防人とは、白村江の戦い以降、北九州の防備にあった兵士の事。期間は3年。

難波の津から出航ということは、瀬戸内海を渡って九州に行くのでしょう。飛鳥・奈良時代でも東国の人たちが駆り出されるのですね!

万葉集ゆかりの人物

仙覚律師(せんがくりっし)

鎌倉と万葉集との関係で、見落としてはいけない人物が仙覚律師。

比企一族の人で、鎌倉時代に万葉集の研究をし、万葉集注釈を残した人物です。
今の万葉集の全ての底本になっている「西本願寺本万葉集」の元になっているとも伝わります。

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比企一族ゆかりの妙本寺(新釈迦堂)に籠って研究し、石碑「万葉集研究遺跡(仙覚律師碑)」も妙本寺境内に建っています。

佐佐木信綱

1872-1963。歌人、国文学者。
国文学者として、万葉集の研究で有名な人物。

万葉集を体系化すべく、日本各地の巡っては万葉集の古写本の発掘をおこなったようです。

※ちなみに、源頼朝を助けた武士「佐々木信綱(佐々木四兄弟の一人)」とは全くの別人です。。。時代も違うし。

佐々木信綱歌碑

鎌倉山の「住吉」バス停近くには、今は放置ぎみな佐々木信綱の歌碑が建っています。
ここの近くに住んでいた信綱を師匠と仰ぐ人物が信綱に富士山を見て歌を詠んでもらった歌を歌碑にしたとか。

以前は石に彫られた文字が読めなかったものの、そばにあった説明板で知ることが出来たみたいですが、先日行ったときには、説明板が撤去されたのか、それとも雑草に埋もれてしまっていたのか、全く読むことができません。という訳で、先人方の知恵をお借りします。

日ぐらしに 見れどもあかず ここにして 富士は望むべし 春の日秋の日    佐佐木信綱

春の日も秋の日も1年中、ここから見える富士山は一日中見てても飽きないなぁ。という意味でしょうか?

今は、全く富士山なんて見えませんけどね・・・

また、大正10年鎌倉大町に「溯川草堂」を設け執筆の場とし門下生を育ててながら鎌倉の文人と交流しました。と鎌倉市のHPには書いてあります。が、場所が良く分かりません。

奈良にある万葉歌碑

万葉集のふるさととも言える奈良県内には、万葉歌碑があちこちに設置されています。

その中には、鎌倉市ゆかりの文化人が揮ごうした歌碑があり、鎌倉市民としてはその歌から万葉集を攻めていくのが良いのではないでしょうか?

小倉遊亀(日本画家)

巻2-165 現身の人なる吾れや明日よりは二上山を弟背と吾が見む(大来皇女)
うつそみの ひとなるわれや あすよりは ひたかみやまを いろせとわがみむ

有島生馬(画家、小説家)

巻13-3331 (読み人知らず)
こもりくの はつせの 山青はたの 忍坂の山は 走出のよろししき山の出立の
くわしき山ぞあたらしき山の荒れまく惜しも

棟方志功(版画家)

巻7-1087 痛足河、河波立ちぬ 巻目の 由槻が嶽に 雲居立てるらし(柿本人麿)
あしながわ かわなみたらぬ まきむくの ゆつきがたけに くもいたてるらし

他にも、川端康成、里見弴、今日出海らが揮ごうした石碑があるようなので、見つけたら追記していきます。

監修:井上 さやか
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