目次
松竹大船撮影所とは
昭和11(1936)年 1月
松竹撮影所が蒲田から大船に移転してきました。
当時の大船は、小坂村と玉縄村が合併してできた大船町で、東海道線と横須賀線の分岐点だが、何もない田園風景の原野に駅だけポツンとあったような寂しい土地だったようです。
無声映画から有声映画の転換期で、戦争需要に沸く蒲田の工業地帯では騒音がうるさく、大船の自然豊かな環境に白羽の矢がたったという。
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松竹大船撮影所の黄金時代を築いた人物には、城戸四郎(所長)、小津安二郎(監督)
松竹で活躍した俳優には、田中絹代、佐田啓二、原節子、笠智衆など
平成7(1995)年
松竹創立百周年記念事業として、撮影所の敷地内に「鎌倉シネマワールド」が(入場者伸びず3年で閉園)開園しました。
平成12(2000)年 6月
松竹大船撮影所は閉鎖、敷地は鎌倉女子大学に売却され現在は大船キャンパス(鎌倉検定の試験会場)になっています。
昔の大船周辺の航空写真
昭和の前半の大船周辺は、まだまだ家が少なく小袋谷周辺には田園風景が広がっていそうです。
今もある松竹通り(現 大船駅~鎌倉女子大学までの道)は、道幅も広く当時のメインストリートだったのかもしれませんね。
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松竹大船撮影所名残巡り
鎌倉女子大学 大船キャンパス(松竹大船撮影所跡地)
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交差点名「松竹前」
現在のイトーヨーカドーと旧三越(松竹SC)の入口にある交差点の名前が「松竹前」になっています。
当時は、ココが松竹大船撮影所の正門だったようです。
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バス停「松竹前」
松竹通りにあるバス停名が松竹前と、名残を残しています。
次のバス停は「資生堂前」とありますが、2022年時点で資生堂の工場はマンション、豊島屋さんの工場(建設中)になっています。バス停名は変わるのでしょうか。
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松竹大船ショッピングセンター
鎌倉女子大学の前にある巨大なイトーヨーカドーを中心としたショッピングセンター。
駐車場も付いていて、飲食店もあって、大船住民にとってなくてはならない場所ですね。
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松竹ショッピングセンター内にある、アジフライが食べられる「かつれつ飛鳥」や「そば処あおい」はたまに通います。
2F喫煙ルームの壁
そして、非喫煙者には一生見つけられないと思われる場所が、松竹ショッピングセンターの2F奥にある喫煙ルーム。その壁に松竹大船撮影所の写真が貼られています。
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松竹マンホール
かなり貴重でレア(ここにしかない?)なマンホール。
昔の松竹マークがマンホールの真中に描かれています。
砂押川プロムナードにあります。他のマンホールは鎌倉市のマークなので、見つけると嬉しいです。
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松竹橋(砂押川)
松竹大船撮影所の横を流れていた「砂押川」。
水源は散在ヶ池(鎌倉湖)からで、JR鎌倉駅の下をくぐって柏尾川に注ぐ準用河川(1級でも2級でもない川のこと)です。
松竹大船撮影所の横からJR大船駅の間の砂押川にかかっている橋は「松竹第〇号橋」と付いてたりします。
松竹第2号橋
こちらも砂押川プロムナードから砂押川にかかる小さな橋。
松竹第二号橋。
ということは第一号橋もありそうですが見当たりません。
しかし、砂押川の上流側(東方面)に、橋名の無い小さい橋があるので、それが濃厚かもしれません。
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松竹第5号橋
松竹第5号橋には橋が架けられた年月が書かれています「昭和拾(10)年四月架」
松竹大船撮影所が完成したのが昭和11年ですから、関連して架けられた橋だと想定することができますね。
小さくて、昔ながらのコンクリート橋です。
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松竹第6号橋
松竹第5号橋よりもさらにJR大船側にある橋です。
いつ架けられたが分かりませんが、当時のままであればコンクリ―ト作りで欄干がとっても低いですね。
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松竹離山通り
離山(はなれやま)は松竹の南側に位置する場所(昔は約50mほどの山だったそう)
そこから、松竹大船撮影所前を南北に貫く道路を「松竹離山通り」と呼んでいるみたいです。
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山蒼稲荷神社
昔から大船を丘の上から見守っていたとされる神社。
松竹大船撮影所がやってきたときに、この場所に移されたと石碑には書いてあります。
商業地区の大船にふさわしい商売の神様「稲荷神社」ですね。
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松竹スターや関係者が通ったお店
でぶそば
松竹大船撮影所から北側(横浜市栄区)側に400m歩いて行ったところにある中華料理屋。
男はつらいよの寅さんも通ったようで、寅さんセットというメニューがあります。
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浅野屋
でぶそばに対抗して「ちびそば」(当時の店主がチビだったからだそう)と呼ばれ愛されたお蕎麦屋さん。
松竹が蒲田にあったときに蒲田で創業。大船に移転と同時に移ってきたそうです。
創業100年の老舗。なんて松竹撮影所愛のあるお店なんでしょう。
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洋食 ミカサ(現 鎌倉遊ヶ崎)
洋食ミカサは、2018年頃?に閉店し、新しいお店が開店しています。
この建物は地下に調理室があって、店側の動線がなかなか厳しいようで、洋食ミカサを継いでくれる方を探すも難しかったようです。
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