鎌倉検定の出題分野で結構苦手な「鎌倉文化芸術」分野。
鎌倉時代が好きなので、近現代でしかも歴史じゃなくて文化ってなかなかハードル高いです(涙)
苦手分野なので知識がなかなか頭に入らないので、五感で覚えようと、実際にゆかりの地を巡ってみました(ランニングです)
目次
小津安二郎とは?
職業は、映画監督です。
明治36年(1903年)~昭和38年の方なので、私まだ生きてません。。。
インターネットで探すと、モノクロの顔写真など簡単に見つかりますが、体格が大きくてイカツイ風貌ですね。
住まいは北鎌倉の浄智寺付近
無くなるまでの10年間。母親と北鎌倉に住んだとあります。
北鎌倉と言っても広いので、いろいろ調べていくと浄智寺の付近でトンネルをくぐった先っていう情報があったので探検。

浄智寺横の葛原岡ハイキングコースへ向かう道の左側に、トンネルを発見。
今は違う方が住んでるみたいです。通行止めの棒があったのでここまで。入っていきたい気持ちをグッと我慢です。
葛原岡ハイキングコースへは何度も足を運んでいるので、何回も通ってるんですけど、全く気づきませんでしたね。

ちなみに、トンネルの前にある「小倉」と書かれた門は、日本画家の小倉遊亀(おぐらゆき)さん旧邸らしいです。
鎌倉市名誉市民(1995年)です。凄い方ですね。

作品の舞台にもなった北鎌倉駅
小津安二郎の代表作品として、上げられているのが
・「晩春」(1949年) 一番初めのシーンが北鎌倉駅です!
北鎌倉駅だけじゃなくて、源頼朝、七里ヶ浜とか鎌倉ゆかりの内容がたくさん出ますね。
・「麦秋」(1951年)
・「東京物語」(1953年)
・「秋刀魚の味」(1962年)
北鎌倉駅が映画のシーンで使われている、ってのが鎌倉検定で出題されてましたね。
そして、原節子、笠智衆さんが、小津安二郎作品の常連さんだったとか。

鎌倉文士とも交流
さて、小津安二郎は映画監督だったのですが、鎌倉文士っていう文豪の方々とも交流をして映画作品に影響を与えたそうです。
★小津安二郎(約33才)
・久米正雄(約45才) 鎌倉ペンクラブ初代会長、鎌倉町議
・里見弴(約48才)
・川端康成(約37才)
・大佛次郎(約39才)
※( )の年齢は、鎌倉ペンクラブ設立時(昭和11年時の年齢)。ちょっと上下関係を知りたくて。
上記の方々は、またゆかりの地を実際巡らないとダメですね。
行きつけのお店(鎌倉検定の出題範囲外かと・・・)
このコーナーはおまけですね(笑)
小津安二郎さんの事をネットで調べてたら、気になるところが出てきたのでちょっとだけご紹介。

上記は、北鎌倉駅の真横にある、いなり寿司屋の「光泉」です。
小津安二郎が大好きで、何かあったら買いに行っていたらしいですよ。ということは昭和前半からお店はあるんでしょうね。
昔は、店内で食べれたらしいのですが、現在は持ち帰りのみですよ。

上記は、JR横須賀線で電車に乗っていると見える崖の下にある赤い門。
「好々亭」っていう懐石料理店。現在は閉店していますがトンネルはくぐれますよ。
映画の打ち合わせとか、打ち上げとかに良く利用してたとか。
今は、北鎌倉駅へ抜ける、地元民の生活道路みたくなってますね。
小津安二郎のお墓
最後はお墓です。場所は円覚寺境内にある墓地に、他の方々と同じように並んでいます。

円覚寺の境内案内図には、建物や塔頭などは記載されていますが、墓地は記載されていません。
小津安二郎監督のお墓は、仏殿向かって右側へ歩いて行くとありますよ。
入口に墓地案内図があるので、大勢の中から「小津」を探してみてください。結構大変です・・・。

お墓には「無」と書かれていて、お酒類のお供え物が。お酒好きだったんでしょうね。
あと、お墓なのでちゃんとお参りしましょう。
時間をかけて、監督の足跡を巡ってみたら、ちょっとファンになりました(笑)
暇を見つけて、映画作品を見てみようかなと思います。
東京と小津安二郎
小津安二郎誕生の地
小津安二郎先生は、1903年(明治36年)東京の江東区深川一丁目で生まれました。
それから近くへの引っ越しはあるものの、1952年(昭和27年)鎌倉へ転居するまで、深川に住んでいます。
なので、デビュー作や当初の作品は江東区を周辺とした作品が多くなってますね。


江東区深川で小津安二郎先生と思わぬ出会いがありました😊
— kagolabo@鎌倉 (@KagolaboJp) September 30, 2020
近くの小津橋ってさすがに関係ないよね?🤔#鎌倉 #深川 #小津安二郎 pic.twitter.com/TCkohBiCKX
江東区古石場文化センター
誕生の地からはちょっと離れますが、古石場文化センターでは、「小津安二郎 紹介展示コーナー」というのがあります。江東区を舞台にした映画などが展示されています。
拝観は無料なのでぜひ!

