鎌倉ゆかりの美術・芸術家を整理|明治以降の代表的な人物をピックアップ

鎌倉ゆかりの美術・芸術家を整理|明治以降の代表的な人物をピックアップ

2023-02-17

鎌倉検定の過去問に出題された人を中心に、鎌倉の美術分野をちょっと整理しておこうと思います。
とりあえずは、これくらいの少ない人数から始めます。

彫刻家

高田博厚(たかた・ひろあつ)

1900年-1987年(86才没)。鎌倉人物小辞典に挙げられる。
31才でフランスに渡って、ロダン、マイヨールの影響を受ける。57才帰国。フランスでは有名な日本人。

1966年(67才)の時、稲村ケ崎(姥ヶ谷)に住居とアトリエを構える。

高田博厚プロフィール(鎌倉市HP)

鎌倉文学館の建物前にある、女性の像を造ったのが、この高田博厚氏です。

また、ヨーロッパ映画を日本に輸入していた「川喜多長政」とも、フランスで交流があったようです。分野が違っても人脈は広がっていきますね。

版画家

棟方志功(むなかた・しこう)

1903年-1975年(72才没)。青森県出身。版画界の世界的巨匠の一人。
鎌倉山に「棟方板画美術館」があったが2010年に閉館。運営者(親族)の高齢化のため。

入口扉には、青森市棟方志功記念館と合併するにあたり閉館と書いてました。
青森市と言えば、棟方さんの生まれ故郷ですね。

鎌倉検定の過去問に出題されたことがありますが、鎌倉人物小辞典には載ってません。

洋画家

黒田清輝(くろだ・せいき)

1866年-1924年(57才没)。外光派。鎌倉同人会の発起人の一人。薩摩出身で従三位とお偉いさん。
1886年(20才)画家に転向。材木座の啓運寺をアトリエにして「鎌倉にて」「雲」を作成。

啓運寺

フランス帰りで「黒田清輝日記」には鎌倉の海岸を散歩したり骨董屋をひやかしてる様子が書かれている。

黒田記念館

鎌倉同人会

大正4年、陸奥廣吉(明治の外相、陸奥宗光の長男)らと鎌倉同人会を結成。
鎌倉の文化遺産の保護・保存、街灯の設置、駅や郵便局、鎌倉国宝館などの公共施設の整備、設置などの活動を実施。

陸奥宗光は紀州藩士で、坂本龍馬と行動を共にした幕末の人。

岸田劉生(きしだ・りゅうせい)

1891年-1929年(38才)。黒田清輝に師事。
白樺」周辺の文化人と交流。

白樺は1910年に創刊された文芸美術雑誌。
武者小路実篤、志賀直哉ら上流階級の青年たちによって創刊。有島武郎、有島生馬、里見弴ら鎌倉にゆかりのある人たちもメンバー。
岸田劉生は表紙装丁を担当。

京都→鵠沼→鎌倉(長谷)へ転居。草土社(そうどしゃ)結成。このメンバーで創土社展を開く。
作品は「麗子像」「切通しの写生」。麗子は娘。

上記の高田博厚が自画像を見てもらいに岸田家へ来た時に、麗子像を見て実力差を感じて絵画をあきらめ、彫刻の道へ行ったという逸話あり。

おまけ

有島家の家族

ちょっとややこしい有島という名字の鎌倉ゆかりの人物(鎌倉文士)を簡単に整理。

【生誕順】鎌倉文士|鎌倉ゆかりの文学家(文豪家)を時系列で並べてみた
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父は有島武(ありしまたけし)1842年 官僚・実業家、鹿児島県出身。

長男 有島武郎(ありしま・たけお)1878年生 
    小説家・評論家 円覚寺塔頭松嶺院で「或る女」 最後は愛人と心中(45才没)

次男 有島生馬(ありしま・いくま)1882年生 
    画家、小説家 稲村ガ崎の新渡戸稲造の別荘に転居 「蝙蝠の如く」

四男 里見 弴(さとみ・とん)1888年生 
    小説家(里見はペンネーム)、扇ガ谷居住、鎌倉ペンクラブ会長、小津安二郎と親しい

里見弴がややこしさを倍増させてますね・・・。

始めはこれくらいの人数から。
徐々に覚える方々を増やしていきましょう。

鎌倉散策に役立つ本

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