鎌倉新仏教|鎌倉の神社仏閣でよく目にする僧侶を整理整頓してみた

鎌倉新仏教|鎌倉の神社仏閣でよく目にする僧侶を整理整頓してみた

2019-09-04

今回は鎌倉のお寺で必ず目にする開山
四字熟語のような名前も多く、また別名もあったりしてややこしいのでちょっと整理してみました。

ちなみに鎌倉検定本の鎌倉人物小辞典には、
一遍、日蓮、栄西、蘭渓道隆、無学祖元、夢窓疎石、釈宋演、忍性、が載っています。

開山と開基の違い

鎌倉の大きなお寺には下記のような案内板があって、開山と開基が分かっている場合に掲載されています。

開山:寺院を開創した僧侶(初代住持職)
開基:寺院の創始にあたって必要な経済的支援を与えたもの、または大檀那

なので、開山は僧侶。開基は鎌倉幕府や鎌倉公方のお偉いさんが名を連ねますね。

瑞泉寺

また、中興開基や中興開山などの「中興」って付いた用語も出てきます。
これは衰えた寺を復興したという意味です。

臨済宗

明菴栄西(みょうあん・えいさい/ようさい)

1141年-1215年(75才)。日本臨済宗の祖。吉備津神社の権禰宜の子として誕生。宋に渡って帰国。
幕府の庇護を受けて、寿福寺、建仁寺(京都)の開山。喫茶養生記

寿福寺

寿福寺

この寿福寺は源義朝(頼朝の父)の屋敷跡。
ココに、頼朝が死んだ翌年の1200年、妻の北条政子が栄西を招いて開山。政子と実朝は凄く帰依してたようですね。

喫茶養生記(国の重要文化財)

上下2巻からなり、お茶の種類、抹茶の製法、効用が書かれた書物。
1214年、栄西(73才頃)が3代将軍の源実朝(22才頃)に献上。お爺ちゃんから孫へって感じですね。

蘭渓道隆(らんけい・どうりゅう)

1213年-1278年(65才)。5代執権北条時頼の招きによって1253年(40才)南宋から来た禅僧。別名、大覚禅師
宋風の本格的な臨済宗を広めた人。

建長寺の開山(初代住持)。

建長寺

常楽寺の住持。建長寺の開山以前にここで禅を広める。元建長寺の異名あり。
その他住持は、寿福寺、禅興寺(廃寺)。

無学祖元(むがく・そげん)

1226年-1286年(61才)。8代執権北条時宗の招きにより1279年(53才)南宋から来た禅僧。蘭渓道隆の後継として来日。別名、仏光国師
日本に帰化して、無学派(仏光派)の祖に。

建長寺の5代住持となり、1282年(56才)に円覚寺開山
建長寺にて死亡。お墓は建長寺に。

円覚寺

夢窓疎石(むそう・そせき)

1275年-1351年(76才)伊勢国出身。幼少期に出家。別名、夢窓国師。足利尊氏らに篤信(篤く信じる)。
瑞泉寺の開山。その後、京都で天龍寺なども開山。五山文学の隆盛に貢献。

瑞泉寺

造園の設計でも知られて、瑞泉寺の庭は国指定名勝
鎌倉にある他の国指定名勝は建長寺庭園と円覚寺庭園の合計3か所。

円覚寺でも15世住持となっていて、門弟によって塔頭「黄梅院」が建てられ夢窓派の関東拠点になりました。

退耕行勇(たいこう・ぎょうゆう)

1163年-1241年(78才)。山城国?相模国?の出身。源頼朝・北条政子の帰依を受ける。
3代執権北条泰時より、東勝寺(廃寺)、常楽寺開山足利氏により浄妙寺を開山。

常楽寺

真言律宗

忍性(にんしょう)

1217年-1303年(86才)。生地は大和国。極楽寺にて没。
1267年(50才)極楽寺開山。社会的弱者の救済に尽力。極楽寺切通忍性によって切り開かれたとも。

極楽寺

開山は北条重時。2代執権北条義時の3男。鎌倉幕府連署。極楽寺流の祖。

忍性菩薩|鎌倉・極楽寺開山の真言律宗僧、その救済人生のルーツを探る
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時宗

一遍(いっぺん)

1239年-1289年(50才)。時宗の開祖。初代遊行上人。生地は伊予国。
1282(44才)鎌倉入りを図るも拒絶。

光照寺

光照寺は鎌倉入りを拒絶され、野宿したところが光照寺と言われている。開山は一向俊聖(いっこうしゅんしょう)

教恩時(大町):開山 知阿(ちあ)
別願時(大町):開山 覚阿公忍(かくあこうにん)
光触寺(十二所):開山 作阿(さくあ)

日蓮宗

日蓮

日蓮については、個人的に深堀したい人物なので、日蓮だけのコンテンツを後日作りたいと思います!

鎌倉散策に役立つ本

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