藤谷黄門|黄門は中納言の唐名、和歌一族の冷泉家ルーツの地(石碑を読む)

藤谷黄門|黄門は中納言の唐名、和歌一族の冷泉家ルーツの地(石碑を読む)

2020-08-24

今回は摩訶不思議な「藤谷黄門」石碑を読んでみることにしました。
黄門って誰よ。水戸黄門かよ。って突っ込みたくなりますけど、冷泉為相さんでした。

初めの頃はよく分かっていませんでしたが、「黄門」っていうのは中納言の唐名なんですね。従三位相当で、かなりの高官です。東国武士にそんな人はいません。

藤谷黄門遺蹟

藤谷黄門遺跡

「藤谷黄門遺蹟」石碑の場所は?

石碑に書かれている文字は?

冷泉為相卿ハ為家ノ子ナリ
従二位中納言ナル和歌所ノ事ニ由リ兄為氏ト争論ノ末ソノ母阿佛尼ト共ニ鎌倉ニ来リ幕府ニ訴フ
遂ニ藤谷ニ寓シ藤谷殿ト偁セラル
藤谷百首ト呼ビ世ニ傳セラルル和歌ハ此地ニテ詠出セラレシ者ナリ
網引地蔵ハ其ノ建立ニ係ルト云フ
卿ノ墓ハ其ノ後山ノ頂ニ在リ五輪塔ニシテ月巖寺殿玄國昌久ノ八字ヲ刻セシト謂フモ今ハ漫滅シテ字體ゼズ

昭和四年三月 鎌倉町青年團

冷泉為相卿は為家の子である
従二位中納言の和歌で有名な家で、兄「為氏」との遺産相続の件で揉め事あり、為相の母である阿仏尼と一緒に鎌倉へ行き幕府へ訴えた
後に、藤ヶ谷に住み、藤谷殿と呼ばれた
藤谷百首と呼ばれ、世に広まった和歌はこの地で詠まれたものである
網引地蔵は冷泉為相によって建立されたと伝わっている
為相卿の墓は、その後ろの山の頂にあって五輪塔に「月巖寺殿玄國昌久」の八文字が刻まれているというが、今は文字が摩耗して字体を判断することができない

昭和4年3月 鎌倉町青年団

※間違っていたらごめんなさい。

事前知識(漢字・用語編)

:ショウ|声を出して読む、暗記して読む
漫滅:まんめつ|文字などが読めなくなること
字體は現在の「体」|つまり「字体」

事前知識(歴史編)

冷泉為相(れいぜい ためすけ)

1263-1328年。公卿、歌人。冷泉家の祖。
娘の一人が、8代将軍「久明親王」に嫁いでいたため、将軍を補佐し、鎌倉に移住した

藤谷

鎌倉市扇ガ谷、浄光明寺付近にある谷の名前「藤ヶ谷」に由来
ここに冷泉為相が関東別邸を構えたため、藤谷殿(藤谷黄門)と呼ばれるようになった。

阿仏尼

阿仏尼さんは冷泉為相の母親。
子供のために京都から鎌倉まで来られたスーパーお母ちゃんであり尼さん。

十六夜日記の作者で、鎌倉ではゆかりの地が結構ありますよ。

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浄光明寺

真言宗泉涌寺派のお寺。開山は北条長時(6代執権、赤橋流|極楽寺流の嫡流)。
普通のお寺なんですけど、冷泉為相ゆかりのものが裏山の有料拝観地域に沢山あります。

境内は9月になるとハギが結構咲きます。

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網引地蔵(あみひきじぞう)

冷泉為相が建立したと言われる「網引地蔵」
昔、由比ガ浜で漁師の網にかかって引き上げた地蔵だと言い伝えられています。

冷泉為相の墓

網引地蔵の少し上に、石垣で囲まれた宝篋印塔があります。

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