扇谷上杉管領屋敷|太田道灌を擁する関東管領家、宗家の山内上杉家と両輪を成す (石碑を読む)

扇谷上杉管領屋敷|太田道灌を擁する関東管領家、宗家の山内上杉家と両輪を成す (石碑を読む)

2020-08-12

今回は扇谷上杉家屋敷に関する石碑を読んでみました。
上杉家は4つに分家しますけど、上杉の前に地名を付けてくれるので、なんとなくイメージ付きやすいですよね。

扇谷上杉管領屋敷迹

扇谷上杉管領屋敷跡

「扇谷上杉管領屋敷迹」石碑の場所は?

石碑に書かれている文字は?

内大臣藤原高藤十三代ノ裔ニ重房アリ
宗尊親王ニ従ヒテ鎌倉ニ下リ食邑ヲ丹波國上杉荘ニ賜リテ始メテ上杉氏ヲ偁セルガ其ノ曾孫憲顕管領基氏ノ執事ト為リテヨリ一族勢力ヲ関東ニ占ム
門葉数家重房五世ノ孫顕定扇谷家ヲ創ム
文明ノ交扇谷家六代ノ主定正賢臣太田道灌ヲ用ヒテ家ヲ揚クルヤ世ニ宗家山内ト共ニ両上杉又ハ両管領ト偁ス
此ノ地即テ其ノ邸址ナリ

大正十一年三月建 鎌倉町青年團

内大臣だった「藤原高藤」の13代後に藤原(上杉)重房がいる。
鎌倉幕府6代将軍「宗尊親王」に従って鎌倉に下向し、丹波国上杉荘を領地として頂き、上杉氏と名乗った。そのひ孫「上杉憲顕」が、鎌倉管領「足利基氏」の執事となって一族勢力が関東で強まった。
一門は分家し、上杉重房の5世代目、上杉顕定が扇谷家を創設した。
扇谷上杉家6代の定正は太田道灌を起用して家の評判を上げ、宗家の山内家と共に、両管領と呼ばれるほどになった。
此の地は、扇谷上杉家の館跡である。

大正11年3月建 鎌倉町青年団

※間違っていたらごめんなさい。

事前知識(漢字・用語編)

食邑:しょくゆう|領地、知行所
:セイ、こえ|こえ、音楽、評判

事前知識(歴史編)

藤原高藤

838-900年。公卿、藤原北家。つまり先祖は、中臣鎌足、不比等、房前(北家)。

藤原(上杉)重房

生没年不明。上杉氏の祖。宗尊親王の下向の際、介添えとして共に鎌倉へ供奉。丹波国上杉庄を賜り、以降上杉と称す。

上杉憲顕

1306-1368年。武将、守護大名。初代関東管領、山内上杉氏の祖。足利尊氏とは従兄弟の関係。

上杉顕定

1351-1380年。武士。扇谷上杉家初代当主。

扇ヶ谷(おうぎがやつ)

鎌倉十井の一つ、扇ノ井(現在は個人宅内で見学不可)があるから、または谷戸が扇のように広がっていることに由来するとか。

以前は、この辺は亀ヶ谷が使われていたけど、扇谷上杉家が「扇谷殿」と言われるようになって、メインで使われるようになったと。

太田道灌邸(現英勝寺)も扇ガ谷地域にありますね。

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