源為朝|兄の源義朝や平清盛も恐れた剛弓の使い手、日本各地に伝説が残る人物

源為朝|兄の源義朝や平清盛も恐れた剛弓の使い手、日本各地に伝説が残る人物

2023-01-07

源為朝(みなもと の ためとも)

1139-1170? 源為義の八男。
鎮西八郎(為朝)とも呼ばれ、巨体で剛弓の使い手、剛勇無双の人物として有名です。

※源為朝の伝説がある「佐賀県上峰町」では為朝のアニメーション動画をYouTubeで公開しています

源為朝の簡易年表

時期年齢出来事
保延5(1139)年0誕生 ※長男「義朝」の16歳年下
13乱暴が過ぎて、父「為義」から勘当。九州へ追放。
この時期、自ら鎮西総追捕使と称して暴れまわる
保元元(1156)年17保元の乱
父「為義」と共に、崇徳上皇側に参じ、敗北。
伊豆大島に島流し
永万元(1165)年26工藤茂光の所領、伊豆七島を強引に奪って支配
嘉応2(1170)年31為朝に追討令。
伊東、北条、宇佐美など伊豆国の武士が攻め込む
治承元(1177)年38没年とされるも、各地に落ち延びた等の伝説も多数

源為朝には、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」(曲亭馬琴著)に書かれている内容から、いろいろな伝説があります。

椿説弓張月|主人公は鎮西八郎為朝、京都から琉球まで壮大なスケールの物語
椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき) 椿説弓張月は、江戸時代後期に戯作者の「曲亭馬琴(滝沢馬琴)」が書いた長編小説。南総里見八犬伝と共に、曲亭馬琴の2大長編小説で…
1192-diary.com

また、最近出版された、まるまる一冊為朝について書かれた「心優しき暴れん坊 源為朝伝説」という本もあります。日本各地の為朝ゆかりの地や、為朝の生涯について詳しく書かれているので、興味があれば面白いと思います。

源為朝周辺の系図

父は源為義。母は摂津国江口の遊女と言われています。
8男として生まれ、源頼朝の父「源義朝」や、以仁王の綸旨を運んだ「源行家」とは異母兄弟です。

源為義
 ┣-------------------┳---┳---┳
源義朝                  義賢  為朝  行家
 ┣----┳----┳----┳     |   |
源義平   頼朝   範頼   義経   義仲  舜天

子 舜天

源為朝はモテ漢。

行く先々で子供を作っていますが、舜天(舜天丸|すてまる)という初代琉球国王と言われている人物がいるのが面白いですね。

明らかに後世の創作話と思いますが、為朝の子が舜天だという繋がりが有ったほうが都合の良い事柄があったのでしょう。

舜天|鎮西八郎為朝(源為朝)を父に持つという、伝説上の初代琉球国王
舜天(しゅんてん) 1166-1237 初代琉球国王(も伝説の人物で実在を証明する資料は残っていないとのこと。)父は、琉球に渡った「源為朝(鎮西八郎為朝)」だが…
1192-diary.com

源為朝ゆかりの地

六角ノ井(鎌倉市)

鎌倉十井のひとつ。

保元の乱で敗れて、弓を引けない様に腕の筋を斬られて伊豆大島へ流罪。ひと月も経たないうちに傷も癒え、為朝は伊豆大島から力試しで弓矢を、光明寺の裏山「天照山」めがけて放ったところ、この井戸に落ちたという伝説があります。

伊豆大島からは約70km離れていますので、、、。

為朝の祠(上大岡)

伊豆大島で自害したとされる説がありますが、落ち延びて上大岡の「八郎ヶ谷(はちろうがや)」と呼ばれる場所に隠れ住んだと言われる伝説もあります。

今は、八郎ヶ谷の地名はどこにもありませんが、為朝の祠がひっそりと残っています。

為朝岩(ワカリジー|沖縄)

浦添城の東端部にある巨石。標高は約148mと浦添市内で最も高い場所。拝所という説もあるようです。
為朝岩という名称は近代になって付けられた呼称だとか。

浦添城は、源為朝の子とされる「舜天」がココを拠点に「王」と名乗った場所。

源為朝に関する参考図書

源為朝伝説 心優しき暴れん坊 鎮西八郎為朝の伝承地を歩く 

源氏に関するおススメ書籍

PAGE TOP