義経宿陣之跡|鎌倉へ入れない源義経、腰越状で有名な満福寺(石碑を読む)
今回は腰越の満福寺にある「義経宿陣之趾」の石碑を読んでみました。 石碑の多くは鎌倉中心部にあるのですが、腰越っていう鎌倉から結構離れた場所(今でもすぐ横が藤沢…
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今回は腰越の満福寺にある「義経宿陣之趾」の石碑を読んでみました。 石碑の多くは鎌倉中心部にあるのですが、腰越っていう鎌倉から結構離れた場所(今でもすぐ横が藤沢…
足利持氏(あしかがもちうじ) 1398~1439 第4代鎌倉公方(在職:1409~1439)上杉禅秀の乱から永享の乱まで、野心溢れる人生を過ごし、関東での戦乱…
今回は鎌倉殿の13人の一人「大江広元」に関する石碑を読んでみました。結構、辺鄙なところに家が有ったんですね、それとも、金沢街道の六浦側の防御の為? 戦国武将で…
鎌倉市大船にある常楽寺。建長寺を開山する前に蘭渓道隆が滞在していたという臨済宗建長寺派のお寺なのですが、その裏にある粟船山に木曽義仲の嫡男「清水冠者義高(木曽…
椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき) 椿説弓張月は、江戸時代後期に戯作者の「曲亭馬琴(滝沢馬琴)」が書いた長編小説。南総里見八犬伝と共に、曲亭馬琴の2大長編小説…
今回も鎌倉市内に点在する石碑を読んでみようと思います。今回は昭和時代に建てられた、鎌倉七口の一つで有名な史跡についての石碑を読んでみます。 ちなみに、今ある極…
鎌倉検定の過去問に出題された人を中心に、鎌倉の美術分野をちょっと整理しておこうと思います。とりあえずは、これくらいの少ない人数から始めます。 彫刻家 高田博厚…
今回は鎌倉市内にある石碑の中で、荏柄天神社の入口付近にある石碑を読んでみました。 荏柄天神社は鎌倉幕府の前からある古い神社で、石碑の記載内容も多くて読むの大変…
今回は扇谷上杉家屋敷に関する石碑を読んでみました。上杉家は4つに分家しますけど、上杉の前に地名を付けてくれるので、なんとなくイメージ付きやすいですよね。 扇谷…
結城(小山)朝光(ゆうき ともみつ) 1168-1254。下総結城氏初代当主。藤原北家秀郷流小山氏の流れをくむ。母が頼朝の乳母だった「寒川尼」。兄に小山朝政が…
毎年8月19日に柏尾川沿いで玉縄首塚まつりをやっています。どんな所縁があるのか、ちょっと気になったので調べてみようと思います。 北条氏時とは?(初代玉縄北条氏…
今回は玉縄首塚の石碑を読んでみることにしました。 今までの鎌倉町青年団の石碑と違って、こちらは玉縄史跡顕彰会という団体が昭和42年建立した石碑で、他の昔からあ…
南総里見八犬伝とは 江戸時代後期(1814刊行-1842完結)に、曲亭馬琴(滝沢馬琴)が28年かけて完成させた長編小説。 完全空想ものではなくて、歴史上の出来…
今回は太平寺跡の石碑を読んでみることにしました。 以前「西御門」の石碑を読んだときに、この西御門周辺にはお寺が結構並んでたみたいだということが分かりましたね!…
舜天(しゅんてん) 1166-1237 初代琉球国王(も伝説の人物で実在を証明する資料は残っていないとのこと。)父は、琉球に渡った「源為朝(鎮西八郎為朝)」だ…
菅原通済(すがわら つうさい) 1894-1981(明治27-昭和56) 実業家、江ノ島電鉄の経営、大船~江の島間の有料道路、高級別荘地「鎌倉山」を開発した人…