菅原通済(すがわら つうさい)
1894-1981(明治27-昭和56)
実業家、江ノ島電鉄の経営、大船~江の島間の有料道路、高級別荘地「鎌倉山」を開発した人。
菅原道真の子孫を自称していたようですが・・・。
少年期は悪童で喧嘩に明け暮れ学校を退学するも、その後海外へ行き事業をし成功したり失敗したりと波乱馬上な人生を送ったようですが、関東大震災後は鎌倉周辺で実業家として活動。
鎌倉検定本の「鎌倉人物小辞典」100人の内の一人です。
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
明治43(1910)年 | 16 | 江ノ電が鎌倉駅(藤沢~)まで開通 |
昭和 5(1930)年 | 36 | 日本最初の自動車専用道路(大船~江の島)、鎌倉山開発 |
昭和11(1936)年 | 42 | 松竹大船撮影所 完成 |
昭和17(1942)年 | 48 | 常盤山文庫 創設、昭和22から一般公開 |
昭和45(1970)年 | 76 | 湘南モノレール(大船~西鎌倉)開業、翌年全通 |
鎌倉ゆかり人との交流関係
小津安二郎
菅原通済よりも9歳年下だった映画監督。タニマチ的存在で小津映画に何本かちょい役で出演も。
日本芸術院(芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関)の会員になれるように奔走したとか。
菅原通済ゆかりの地
鎌倉山碑
鎌倉山ロータリーに建っている「鎌倉山」と彫られた石碑。
関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の3の鳥居の柱を流用したもの。堤義明(西武鉄道元オーナー)を介して入手。碑の下に菅原通済が書いた文章が石版に彫られています。
江の島を開発し、そこへ向かう道路を大船から通し、大船との中間点の鎌倉山を開発した、一貫性のある事業の進め方ですね!
現在の市道「大船西鎌倉線(湘南モノレールが走っている下の道路)」は、1930 年(昭和5)に開通
「日本最初の自動車専用道路の出現」と新聞に報じられました。
鎌倉山記(石碑)
夫婦池公園のさんぽみちを登って行き、鎌倉山を走る道路に当たった場所に建っている鎌倉山記の石碑。
菅原通済の事についても書かれています。
常盤山文庫
菅原通済は、趣味で美術品や古本を収集。国宝も2点。
そのコレクションを収めるために、常盤山文庫(美術館)を創設し、後に一般公開へ。
今はすっかり空き地になっていますが、1624年に建てられた武家屋敷で六浦から鎌倉山へ移築。
菅原通済が亡くなった後に、防災上の理由、文化財保護法の改定で一般公開は中止。
常盤山文庫 自体は鎌倉市笹目町(公開施設が無いため美術館等への貸出事業が主)に。
廃屋となった建物は、茅ケ崎市の酒造メーカー「熊澤酒造」がレストランとして移築再生。
菅原道真の子孫を自称しているだけあって、常盤山文庫のコレクションの中に「天神」カテゴリーがあって、その中に、酒井抱一(琳派)が描いた束帯天神像(菅原道真?)があります。
松竹大船撮影所
松竹蒲田撮影所長だった「城戸四郎(後に松竹会長)」に、大船の広大な土地の購入を進めたのが、菅原通済。これが松竹大船撮影所となりました。