今回も鎌倉市内に点在する石碑を読んでみようと思います。
今回は昭和時代に建てられた、鎌倉七口の一つで有名な史跡についての石碑を読んでみます。
ちなみに、今ある極楽寺坂は、昔の極楽寺坂とはちょっと場所が違うようです。
目次
極楽寺坂(ごくらくじざか)
石碑に書かれている文字は?
此所往古疊山ナリシヲ極楽寺開山忍性菩薩疏鑿シテ一「?」ノ路ヲ開キシト云フ即チ極楽寺切通ト唱フルハ是ナリ 元弘三年ノ鎌倉討入リニ際シ大館次郎宗氏江田三郎行義ハ新田軍ノ大将トシテ此便路ニ向ヒ大佛陸奥守貞直ハ鎌倉軍大將トシテ此「?」ヲ堅メ相戰フ
昭和七年三月建 鎌倉町青年團
ここは昔、山が重なっていたが、極楽寺の開山忍性が山を切り開いて道を開いたと伝わるので極楽寺切通しと言う。1333年鎌倉討入に際して、新田軍の対象として大館宗氏と江田行義はこの道に向かい、鎌倉幕府軍の総大将だった北条貞直はココを堅めて戦った。
昭和7年3月建立 鎌倉町青年団
※間違ってたらごめんなさい。
事前知識(漢字編)
疊:現在の「畳」|たたみ、かさなる
將:現在の「将」|しょう
鑿:サク、のみ、うがつ ※漢字検定1級の問題
事前知識(知識編)
疏鑿(そさく)
岩などを切り開いて、道を通すこと。
今の極楽寺坂も両端は岩を切り開いたようになっていて、地層を見ることができます。
元弘三年
西暦1333年。鎌倉時代末期。後醍醐天皇の時の年号。
この年に鎌倉幕府は滅亡します。
大館次郎宗氏
大館宗氏(おおだてむねうじ)。
鎌倉時代末期の武将。新田氏の支族。
新田義貞と共に鎌倉攻めへ、稲村ガ崎にある「十一人塚」に葬られているとされる
江田三郎行義
江田行義(えだゆきよし)。鎌倉時代末期の武将。新田氏の一族。
大館宗氏と同じく、新田義貞と共に鎌倉攻めへ。
大佛陸奥守貞直
北条貞直(?-1333年)。
大仏流北条宗泰の子。上記の「大舘宗氏」を討ち取る。
最近の案内板は、神社仏閣に関するものが多いので、このような史跡や歴史に関する内容が書かれた石碑はいい勉強になりますね!
鎌倉七口
京都七口を真似した、鎌倉名数の一つ。鎌倉七切通とも言い、鎌倉への出入口として機能した。
・名越切通
・朝夷奈切通
・巨福呂坂
・亀ヶ谷坂
・仮粧坂
・大仏切通
・極楽寺切通