【1月8日】大注連祭(白山神社)|源頼朝ゆかりの神社で行われる祭礼

【1月8日】大注連祭(白山神社)|源頼朝ゆかりの神社で行われる祭礼

2024-01-17

大注連祭(おおしめまつり)

毘沙門天の使い「ハガチ(百足|むかで)」を模した大注連縄を奉納し、豊作と村内安全を祈願する、鎌倉市今泉にある「白山神社」で毎年1月8日に行われる祭礼。

大注連祭りのスケジュール

AM 09:00~ 注連縄の編みはじめ

鎌倉市観光協会のHPによると、当日の朝9時頃から大注連縄を編みはじめということでしたので、その時間に行ってみると、ほとんど人が居ませんでした・・・。

ただ、本殿は開いていて、本殿東の集会所のような場所には氏子さんと思しき方たちが数名ほど。
一旦神社を後にしようと参道を進むと、境内に向かう氏子さんらしき方々数名とすれ違いました。

編みはじめ前の大注連縄

そして境内の入口には一年前に奉納したくたびれた大注連縄が、シイの木とモチの木の間に掛けられています。

この大注連縄は1月8日当日に氏子がワラを持ち寄って拝殿前で網みはじめて、そのまま奉納するんですね。もっと事前に大注連縄を作って準備しておくのかと思っていました。

AM 11:30~ 注連縄の完成間近

鎌倉市観光協会のHPによると、編みあがったら11時半頃から式典と記載がありました。

一旦席を外して11時30分頃に再度白山神社に来てみると、新しい注連縄が境内の木と木の間に掛けられて完成間近となっていました。多くの氏子の方と見学の方が見守っています。

注連縄に御幣(ごへい)をさして、シイの木(樹齢は200年とか)、モチの木の間に掲げて、これから1年間の神社の鳥居になります。

大注連縄の完成間近

ちなみに大注連は、胴が直径約20cm、長さ約6m、重さ約120kgで、12組の足が付いています。

AM 11:45 頃 祭礼開始

そして、神職さんの到着を待って、祭礼が開始されました。
神職さんは岩瀬の五所稲荷神社からお越しになっているようで、この辺の神社を取り仕切っているとか。

一同が大注連縄の後ろに下がって、神職の方が祝詞(祭典に奉仕する神職が神様に奏上する言葉)を唱えられました。祝詞を聞くのは難しいですけど、

「朝から編んで作った大注連縄を奉納いたします」的な言葉はしっかりと入っていました。
最後は「かしこみ、かしこみ~」

その後、神職さんはどんど焼きの前に置かれた「神饌」の前で再度お祈り。
そして、氏子の方が火を付けられて、どんど焼きも同時に始まりました。

祭礼

神饌(しんせん)が置かれています。
神饌とは神様がお召し上がりになるもの。米、酒、海の幸、山の幸、塩、水などが供えられます。

神饌

AM 12:00 頃~ どんど焼き

神職による祭礼開始からどんど焼きが始まるまでは約15分ほど。
当日は陽もあたって風もなく、日陰じゃなければそれほど寒くはありませんでした。

どんど焼きの炎は大きく、煤などが上空に上がり、周辺は火の恩恵を受けて暖かくなりました。

どんど焼き

どんど焼きの最後には、今まで一年間掲げていた大注連縄も燃やすようで(炎が大きく上がるのか最後の方に)、その付近で、白山神社を後にしました。

ちなみに、鎌倉市内で一番大きいどんど焼きは、鶴岡八幡宮の源氏池ほとりで1月15日に行われる左義長神事でしょうね!

毘沙門天とムカデの話

一つの説ということですが。

毘沙門天はインドでは、悪い鬼(夜叉とか羅刹とか)たちを支配する一方で、鉱山に埋蔵されている金銀財宝の発掘する監督官でもあり、財宝と福徳の神でもありました。

百足(ムカデ)は毘沙門天の使いとされていますが、それは上記の金山の坑道をムカデ穴と呼ぶことに由来しているそうです。

毘沙門天の文字の上にムカデの絵

昔から、お金を「御足」「御ぜに」と言われてたので、百の足、お金が増える、お客がやってくるという連想もあって、毘沙門天は商売繁盛の神としても信仰されるようになったとか。

源頼朝公ゆかりの白山神社で行われる正月行事の風物詩、鎌倉神楽のような伝統芸能と共に、途切れることなく続いて欲しいですね。

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