洲崎古戦場|最後の鎌倉幕府16代執権「赤橋守時」最期の地(石碑を読む)

洲崎古戦場|最後の鎌倉幕府16代執権「赤橋守時」最期の地(石碑を読む)

2020-07-03

今回は、湘南モノレール沿い(湘南深沢~湘南町屋間)にある、洲崎古戦場の石碑を読んでみました。
古戦場って、戦国時代の戦いの史跡みたいですね!

石碑も昭和31年と比較的新しくて、難しい文章や言葉も少なくて、楽に読めました。

洲崎古戦場

洲崎古戦場

「洲崎古戦場」石碑の場所

石碑に書かれている文字は?

此ノ辺リ古ノ洲崎郷ニ属ス
元弘三年五月新田義貞鎌倉攻メ折ソノ部将堀口三郎貞満・大島讃岐守守之洲崎口ヨリ攻ム
鎌倉方ハ赤橋相模守守時ヲ将トシテ邀撃シ戦闘六十数度
遂ニ敗レ守時以下九十余人自刃シタル古戦場ナリ

昭和三十一年三月建 鎌倉友青会

この辺りは昔、洲崎郷に属していた
1331年(元弘3年)5月、新田義貞の鎌倉攻めの時、武将の堀口貞満と大島守之が洲崎口より攻め込んだ
鎌倉軍は、赤橋守時を将軍として迎え撃つこと、戦いは六十数回に及んだ
しかし、ついに敗れて守時他、90人が自害したという古戦場である

昭和31年3月建 鎌倉友青会

※間違ってたらごめんなさい。

事前知識(漢字・用語編)

邀撃:ヨウゲキ|迎え撃つこと。

事前知識(歴史編)

堀口三郎貞満

1297-1338年。新田氏の支族の武将。群馬県太田市堀口町を支配していたとか。
巨福呂坂から鎌倉を攻略。

大島讃岐守守之

上記の堀口貞満と同じく、巨福呂坂攻撃班の武将。

赤橋相模守守時

1295-1333年。北条守時。第16代執権(最後の執権)。赤橋流。
妹の登子が、足利尊氏の正室ため、足利尊氏とは義理弟。

1333年 鎌倉の戦い

鎌倉の戦い(元弘の乱)は、鎌倉で起きた、鎌倉幕府軍(北条高時)vs半幕府軍(新田義貞)の戦い。
これについては新田義貞にフォーカスした記事を前回作っているのでご参考まで。

新田義貞は、故郷の上野国で鎌倉幕府打倒の兵を挙げて、小手指原、久米川、分倍河原を戦い抜いて、鎌倉へ攻め込んできました。

5月18日に、新田軍は軍勢を巨福呂坂、極楽寺坂、仮粧坂に分けますが、そこまではどのみちで来たんでしょうね?武蔵から来るってことは上の道だと思うけど。中の道は奥州方面だし、下の道は浅草方面だし。

近くには藤沢方面へ抜ける「鎌倉古道(上の道)」が通っています。

三つに軍を分けたのは、この鎌倉市深沢周辺なんでしょうか?

湘南深沢駅周辺

時間が有る時に、新田義貞軍の進路を詳しく調べてみたいですね。

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