湘南モノレールの湘南深沢駅と湘南町屋駅の間に、「洲崎古戦場」と刻まれた石碑があります。
ここは1333年、新田義貞による鎌倉攻めの際、鎌倉幕府最後の執権・赤橋守時が幕府軍を率いて戦った場所です。
石碑に刻まれた数行から、鎌倉幕府滅亡直前の激戦をたどってみます。
石碑も昭和31年と比較的新しくて、難しい文章や言葉も少なくて、楽に読めました。
目次
洲崎古戦場とは?

「洲崎古戦場」石碑の場所
石碑に書かれている文字は?
此ノ辺リ古ノ洲崎郷ニ属ス
元弘三年五月新田義貞鎌倉攻メ折ソノ部将堀口三郎貞満・大島讃岐守守之洲崎口ヨリ攻ム
鎌倉方ハ赤橋相模守守時ヲ将トシテ邀撃シ戦闘六十数度
遂ニ敗レ守時以下九十余人自刃シタル古戦場ナリ
昭和三十一年三月建 鎌倉友青会
この辺りは昔、洲崎郷に属していた
1333年(元弘3年)5月、新田義貞の鎌倉攻めの時、武将の堀口貞満と大島守之が洲崎口より攻め込んだ
鎌倉軍は、赤橋守時を将軍として迎え撃つこと、戦いは六十数回に及んだ
しかし、ついに敗れて守時他、90人が自害したという古戦場である
昭和31年3月建 鎌倉友青会
※石碑の文意をもとに、読みやすいよう現代語で意訳しています。
事前知識(漢字・用語編)
邀撃:ヨウゲキ|迎え撃つこと。
事前知識(歴史編)
堀口三郎貞満
1297-1338年。新田氏の支族の武将。群馬県太田市堀口町を支配していたとか。
巨福呂坂から鎌倉を攻略。
大島讃岐守守之
上記の堀口貞満と同じく、巨福呂坂攻撃班の武将。
赤橋相模守守時
1295-1333年。北条守時。第16代執権(最後の執権)。赤橋流。
妹の赤橋登子が、足利尊氏の正室ため、足利尊氏とは義理弟。
1333年 鎌倉の戦い
鎌倉の戦い(元弘の乱)は、鎌倉で起きた、鎌倉幕府軍(北条高時)vs反幕府軍(新田義貞)の戦い。
これについては新田義貞にフォーカスした記事を前回作っているのでご参考まで。
新田義貞は、故郷の上野国で鎌倉幕府打倒の兵を挙げて、小手指原、久米川、分倍河原を戦い抜いて、鎌倉へ攻め込んできました。
新田義貞軍はどこから洲崎へ来た?
5月18日に、新田軍は軍勢を巨福呂坂、極楽寺坂、仮粧坂に分けますが、そこまではどの道で来たんでしょうか?武蔵から来るということは「上の道」だと思うのですがどうでしょうか?
「中の道」は奥州方面だし、「下の道」は浅草方面ですからね。
ちなみに、近くには藤沢方面へ抜ける「鎌倉古道(上の道)」が通っています。

三つに軍を分けたのは、この鎌倉市深沢周辺なんでしょうか?

新田義貞軍がどのルートで鎌倉へ進軍し、洲崎付近で各方面へ分かれたのかは、別途地図を使って整理したいと思います。
鎌倉市内の石碑を読む
鎌倉の街を歩いていると、道端や寺社の境内で数多くの石碑に出会います。
何気なく通り過ぎてしまう石碑も、刻まれた文字を読んでみると、その場所で起きた出来事や人物、かつての鎌倉の姿が見えてきます。
街歩きの参考に、下記の「旧跡案内石碑一覧」もぜひご活用ください。
鎌倉市内の旧跡案内石碑一覧はコチラ
KAGOLABO選書・・・石碑から、もう一歩深く
石碑に刻まれた数行の背景には、人物や土地、時代の物語があります。
この記事に関連する書籍の中から、石碑の背景をもっと深く知るための本をKAGOLABOが選びました。
🥇 鎌倉幕府の仕組みと赤橋守時を知る
鎌倉幕府を動かした将軍・執権・連署を人物ごとにたどる一冊。
洲崎古戦場で最期を迎えた第16代執権・赤橋守時を、幕府の政治制度や北条氏の流れの中から知りたい方におすすめです。
🥈 鎌倉幕府滅亡の時代を物語で読む
鎌倉幕府末期から南北朝動乱へと向かう時代を描いた軍記物語『太平記』。
新田義貞の挙兵や鎌倉攻めなど、洲崎古戦場につながる激動の時代を、物語としてさらに深く味わいたい方へ。
🥉 映像で見る、鎌倉幕府滅亡と南北朝
鎌倉幕府末期から建武の新政、南北朝へと続く激動の時代を描いたNHK大河ドラマ。
文章だけではイメージしにくい人物関係や合戦、時代の空気を映像で楽しみたい方におすすめです。
📚 番外編
一般流通している本に限らず、地域資料やガイドブックなど、この石碑を知るうえで紹介しておきたい一冊があればこちらに。
鎌倉市内の書店や図書館で見かけたら、ぜひ手に取ってみてください

