目次
宿谷光則屋敷跡
「宿屋光則屋敷跡」石碑の場所
光則寺の門前左側に石碑が置かれています。
石碑に書かれている文字は?
宿谷左衛門尉光則ハ北條時頼ノ近臣ナリ
文應元年七月十六日日蓮聖人立正安國論ヲ時頼ニ上ラント欲シ光則ヲ長谷ノ邸ニ訪ヒ縷々其ノ趣旨ヲ説キ之ヲ手交ス
聖人龍口法難ノ時最愛ノ弟子日朗ノ因ヘラレタルハ邸後山腹ノ土牢ニシテ億萬斯年師孝ノ哀話ヲ刻ス
光則深ク聖人ニ服シ遂ニ邸ヲ寄セテ寺ヲ創ム實ニ此ノ光則寺ナリ
過グル人其レ襟ヲ正シテ當時ヲ追懐セヨヤ
昭和十五年三月建 鎌倉市青年團
宿谷光則は北条時頼の側近である。
1260年(文応元年)7月16日、日蓮聖人が「立正安国論」を時頼に読んで頂こうと思い、光則の長谷の家に訪ね、延々ととの趣旨を説明してこれを手渡した。
日蓮上人が龍ノ口の法難の時、最愛の弟子だった「日朗」も捕らえられ家の後方にある山腹の土牢で、長年の日蓮上人の哀話を書き残した。
光則は深く日蓮聖人に感服し、遂に家を寄付し、寺を建てたのがまさにこの光則寺である。
そのことを知れば、皆、襟を正して、当時をなつかしむだろう。
昭和15年3月建 鎌倉市青年団
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
縷々:ルル|事細かく話す様。
斯:シ、これ|これ、ここに、このように
事前知識(歴史編)
文應元年
1260年。ぶんおう(文応)。1260-1261年。
亀山天皇(天皇)、宗尊親王(将軍)、北條長時(執権)の時代。
日朗(にちろう)
1245-1320年。日蓮宗の僧。日蓮六老僧(日蓮臨終の際に指名した6人の高弟)の一人。
安国論寺で荼毘に付され、法性寺(逗子市)に葬られる。光則寺は日朗が開山。
行時山 光則寺
1274年の創建。開山は日朗。開基は宿谷光則。
光則寺は花の寺でも有名、なかでも樹齢200年のカイドウは市の天然記念物。
庭の奥には孔雀のくーちゃんがいて、たまに大きな声で鳴くのでびっくりします(笑)
あと、光則寺さんの山草花マップは手書きで細かくびっしりで芸術だと勝手に思ってます。
毎回思うんですけど、光則寺の山野草マップって芸術だと思う#鎌倉 pic.twitter.com/lf9udIOQkA
— kagolabo.jp 🐿 鎌倉 (@KagolaboJp) June 2, 2020
土牢
日朗が幽閉されていた土牢。
池上本門寺
ちなみに、宿谷左衛門尉光則のように、日蓮上人に帰依して自宅を寄進したという話は多く聞きますが、日蓮上人入滅の地である、池上本門寺も、そこに住んでいた池上さんが自宅や土地を寄進した場所です。