小山朝政(おやま ともまさ)
1155-1238。藤原北家秀郷流。小山氏二代当主。弟に結城朝光。
父の小山政光が後妻に「寒川尼」を迎えたことから、頼朝の挙兵に早くから従った。
小山朝政の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
久寿2(1155)年 | 0 | 誕生 |
治承4(1180)年 | 26 | 頼朝が小山朝政に参向を求める書面を送る |
寿永2(1183)年 | 29 | 野木宮合戦で志田義広を弟長沼宗政と討ち取る |
元暦元(1184)年 | 30 | 平家追討の為、範頼軍に属し一ノ谷の戦いに従軍。兵衛尉に。 |
元暦2(1185)年 | 31 | 頼朝の上洛の意に、朝政は御家人筆頭で応えた |
文治5(1189)年 | 35 | 奥州合戦に参加、阿津賀志山の戦いに加わる |
建久元(1190)年 | 36 | 頼朝上洛に随行、右近衛大将拝賀の随兵7人の内に選ばれる |
建久5(1194)年 | 40 | 朝政の家で弓馬に堪能が御家人を集めて、流鏑馬の作法を記録される |
正治元(1199)年 | 45 | 梶原景時の変で連署状に名を連ねる |
元久2(1205)年 | 51 | 義兄弟宇都宮頼綱の謀反が疑われ、共に書状を出すが許されず、頼綱が遁俗 |
承久3(1221)年 | 67 | 承久の乱。宿老として上洛せず関東に。 |
嘉禎4(1238)年 | 84 | 病を患い死去 |
小山朝政周辺の系図
小山朝政から系図をちょっと広げると、弓の名手「下河辺行平」が従兄弟だということが分かります。
ただ、この系図での重要人物は、頼朝の乳母だった「寒川尼(頼朝より9歳年上)」です。
太田行政
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小山政光(兄)=============寒川尼(後妻) 下河辺行政(弟)
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小山朝政 長沼宗政 宇都宮頼綱 結城朝光 下河辺行平
| [猶子]
小山朝長
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください