目次
結城(小山)朝光(ゆうき ともみつ)
1168-1254。下総結城氏初代当主。
藤原北家秀郷流小山氏の流れをくむ。母が頼朝の乳母だった「寒川尼」。兄に小山朝政がいる。
結城氏は鎌倉・室町、戦国、安土桃山時代も息抜き、結城氏18代「結城秀康」は、家康の次男で結城氏の婿養子となり、越前国の福井に国替となった。
結城朝光の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
仁安3(1168)年 | 0 | 誕生(父:小山政光、母:寒川尼) |
事象4(1180)年 | 13 | 母・寒河尼の引き合わせで頼朝に臣従 頼朝が烏帽子親となって元服 |
養和元(1181)年 | 14 | 頼朝の寝所を警護する11名の内(家子)に選ばれる |
元暦元(1184)年 | 17 | 宇治川の戦い(義仲追討)、平家追討軍に参加 |
文治5(1189)年 | 22 | 奥州合戦に参加 |
正治元(1199)年 | 32 | 梶原景時の変。 景時に讒訴され、逆に有力御家人66人連名で「景時糾弾訴状」を作成 |
承久3(1221)年 | 54 | 承久の乱。東山道軍の将の一人として参戦 |
寛喜元(1229)年 | 62 | 上野介に叙任 |
嘉禎元(1235)年 | 68 | 鎌倉幕府の評定衆の一員となる(すぐに辞任) |
建長6(1254)年 | 87 | 享年87 |
結城朝光は鎌倉御家人の中でもかなりの長命。
頼朝時代を知る一人として、頼朝の死後は「関東遺老」として、幕府内でも重鎮となっています。
尊敬する人物は「畠山重忠」
なので、重忠が北条氏に討伐された後は、政治の表舞台に出ることを控えつつましく暮らしていたという。
吾妻鏡の内容から
吾妻鏡から、結城朝光に関する内容を数日ピックアップしてみました。
頼朝乳母の寒川尼、末子を連れて隅田宿に参上
治承4(1180)年10月 2日
頼朝の乳母「寒川尼|故八田宗綱の息女、小山政光の妻」が、特にかわいがっている末子を連れて隅田宿に参上した。頼朝はすぐに御前に招き、昔話に花を咲かせる。
寒川尼は連れてきた末子を頼朝の側近として奉公させたいと言い、頼朝は末子を呼び、元服させ自分の烏帽子を取って与えた。この若者、名を「小山七郎宗朝」と名乗った。(後に朝光と改名)。今年十四歳。
平家追討に参加
元暦元(1184)年 8月 8日
晴れ。三河守(源範頼)が平家追討使として西海に赴く。午の刻(12:00)に鎌倉を出発した。
範頼の後ろに一千余騎が従い馬を並べた。
北条義時、足利義兼、武田有義、千葉常胤、三浦義澄・義村、八田知家・朝重、葛西清重、長沼宗実、結城朝光、比企能員、和田義盛、工藤祐経、土佐坊昌俊など。
頼朝は稲瀬の川辺で見物していた。
京にいる実朝御台所(坊門信清の娘)下向のお迎え
元久元(1204)年10月14日
坊門(前大納言)信清卿の娘が、将軍家(源実朝)の御台所(妻)として下向されるので、お迎えのために人々が上洛した。メンバーは下記の通り。
北条政範、結城朝光、千葉常秀、畠山重保、八田知尚、和田宗実、土肥惟平、葛西十郎、佐原景連、多々良明宗、長井時秀、宇佐美祐茂、佐々木盛季、南条平次、安西四郎ら。
同 11月20日
11月4日に、平賀朝雅の六角東洞院の邸宅で酒宴が有った時、朝雅と畠山重保との口論があった。しかし同席した者たちが宥めたので、何事もなく散会したと、伝わってきた。
平賀朝雅は北条時政の後妻の「牧の方」の娘婿。これが畠山重忠の乱に繋がっていきます。。。
最後は死去の記録
建長6(1254)年 2月24日
晴れ。酉の刻(18:00頃)に、「結城 前上野介 従五位下 藤原 朝臣 朝光法師(法名は日阿)」が死去した。
死去の数年前に家の格(足利氏の御門葉、結城氏の准門葉)を巡って足利義兼の子「足利義氏」と相論をしています。御門葉と准門葉では身分に差がないため、結城氏が勝訴。
その相論で結城朝光(当時は日阿)が提出した文書に、家子専一について書かれています。
小山氏中心の系図
結城朝光と同じ頼朝の家子に選ばれた「下河辺行平」とは従兄弟の関係になります。
ともに秀郷流藤原氏です。
|
太田行光
├--------┐
下河辺行義 小山政光====寒川尼
| ├‐------┬---------┐
下河辺行平 小山朝政(1155頃) 長沼宗政(1162) 結城朝光(1168)
|
結城朝広(1190)
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
結城朝光周辺の系図
結城朝光は、妻が伊賀朝光の娘(北条義時の後妻、伊賀の方の姉妹)ということもあり、執権北条氏と親戚関係になっています。
伊賀朝光=====二階堂行政娘
├-----┬---┬----┬
結城朝光 ===== 伊賀朝光娘 季光 光宗 伊賀の方=====北条義時
| |
結城朝広 北条政村
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
舅 伊賀朝光
朝光という同じ名を持つ舅、伊賀朝光(いがともみつ)も秀郷流藤原氏です。
天皇の秘書的役割を任とする「蔵人所」に代々仕えた官人の出身。伊賀守に任じられて伊賀を名乗りました。
なので父は、藤原光郷と藤原姓を名乗っています。
小山氏ゆかりの地
結城称名寺
結城城
南総里見八犬伝と結城氏
安房里見氏をテーマに江戸時代の作家、曲亭馬琴が書いた長編小説「南総里見八犬伝」
物語は、永享12(1440)年に起った結城合戦(室町幕府 vs 結城氏朝軍)から始まります。
結城氏朝(ゆうきうじとも)は、下総結城氏11代当主。
結城氏の通し名「朝」を11代もの子孫が使っているのが凄いですね!