結城朝光|寒川尼を母にもつ小山氏流、長命で後半は幕府の重鎮

結城朝光|寒川尼を母にもつ小山氏流、長命で後半は幕府の重鎮

2021-08-06

結城(小山)朝光(ゆうき ともみつ)

1168-1254。下総結城氏初代当主。
藤原北家秀郷流小山氏の流れをくむ。母が頼朝の乳母だった「寒川尼」。兄に小山朝政がいる。

結城氏は鎌倉・室町、戦国、安土桃山時代も息抜き、結城氏18代「結城秀康」は、家康の次男で結城氏の婿養子となり、越前国の福井に国替となった。

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結城朝光の簡易年表

時期年齢出来事
仁安3(1168)年誕生(父:小山政光、母:寒川尼)
事象4(1180)年13母・寒河尼の引き合わせで頼朝に臣従
頼朝が烏帽子親となって元服
養和元(1181)年14頼朝の寝所を警護する11名の内(家子)に選ばれる
元暦元(1184)年17宇治川の戦い(義仲追討)、平家追討軍に参加
文治5(1189)年22奥州合戦に参加
正治元(1199)年32梶原景時の変。
景時に讒訴され、逆に有力御家人66人連名で「景時糾弾訴状」を作成
承久3(1221)年54承久の乱。東山道軍の将の一人として参戦
寛喜元(1229)年62上野介に叙任
嘉禎元(1235)年68鎌倉幕府の評定衆の一員となる(すぐに辞任)
建長6(1254)年87享年87

結城朝光は鎌倉御家人の中でもかなりの長命。
頼朝時代を知る一人として、頼朝の死後は「関東遺老」として、幕府内でも重鎮となっています。

尊敬する人物は「畠山重忠
なので、重忠が北条氏に討伐された後は、政治の表舞台に出ることを控えつつましく暮らしていたという。

吾妻鏡の内容から

吾妻鏡から、結城朝光に関する内容を数日ピックアップしてみました。

頼朝乳母の寒川尼、末子を連れて隅田宿に参上

治承4(1180)年10月 2日

頼朝の乳母「寒川尼|故八田宗綱の息女、小山政光の妻」が、特にかわいがっている末子を連れて隅田宿に参上した。頼朝はすぐに御前に招き、昔話に花を咲かせる。

寒川尼は連れてきた末子を頼朝の側近として奉公させたいと言い、頼朝は末子を呼び、元服させ自分の烏帽子を取って与えた。この若者、名を「小山七郎宗朝」と名乗った。(後に朝光と改名)。今年十四歳。

平家追討に参加

元暦元(1184)年 8月 8日

晴れ。三河守(源範頼)が平家追討使として西海に赴く。午の刻(12:00)に鎌倉を出発した。
範頼の後ろに一千余騎が従い馬を並べた。

北条義時足利義兼、武田有義、千葉常胤三浦義澄義村八田知家・朝重、葛西清重、長沼宗実、結城朝光比企能員和田義盛工藤祐経土佐坊昌俊など。

頼朝は稲瀬の川辺で見物していた。

京にいる実朝御台所(坊門信清の娘)下向のお迎え

元久元(1204)年10月14日

坊門(前大納言)信清卿の娘が、将軍家(源実朝)の御台所(妻)として下向されるので、お迎えのために人々が上洛した。メンバーは下記の通り。

北条政範、結城朝光、千葉常秀、畠山重保、八田知尚、和田宗実、土肥惟平、葛西十郎、佐原景連、多々良明宗、長井時秀、宇佐美祐茂、佐々木盛季、南条平次、安西四郎ら。

同 11月20日

11月4日に、平賀朝雅の六角東洞院の邸宅で酒宴が有った時、朝雅と畠山重保との口論があった。しかし同席した者たちが宥めたので、何事もなく散会したと、伝わってきた。

平賀朝雅北条時政の後妻の「牧の方」の娘婿。これが畠山重忠の乱に繋がっていきます。。。

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最後は死去の記録

建長6(1254)年 2月24日

晴れ。酉の刻(18:00頃)に、「結城 前上野介 従五位下 藤原 朝臣 朝光法師(法名は日阿)」が死去した。

死去の数年前に家の格(足利氏の御門葉、結城氏の准門葉)を巡って足利義兼の子「足利義氏」と相論をしています。御門葉と准門葉では身分に差がないため、結城氏が勝訴。

その相論で結城朝光(当時は日阿)が提出した文書に、家子専一について書かれています。

家子|源頼朝に選ばれた御家人2世を中心とした頼朝親衛隊の11人

家子(いえのこ) 吾妻鏡によると・・・ 養和元(1181)年 4月 7日 壬子 …
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小山氏中心の系図

結城朝光と同じ頼朝の家子に選ばれた「下河辺行平」とは従兄弟の関係になります。
ともに秀郷流藤原氏です。

 |
太田行光
 ├--------┐
下河辺行義   小山政光====寒川尼
 |          ├‐------┬---------┐
下河辺行平   小山朝政(1155頃)  長沼宗政(1162)  結城朝光(1168)
                              |
                           結城朝広(1190)

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

結城朝光周辺の系図

結城朝光は、妻が伊賀朝光の娘(北条義時の後妻、伊賀の方の姉妹)ということもあり、執権北条氏と親戚関係になっています。 

           伊賀朝光=====二階堂行政
             ├-----┬---┬----┬
結城朝光 ===== 伊賀朝光娘   季光  光宗  伊賀の方=====北条義時
 |                               |
結城朝広                            北条政村

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

舅 伊賀朝光

朝光という同じ名を持つ舅、伊賀朝光(いがともみつ)も秀郷流藤原氏です。
天皇の秘書的役割を任とする「蔵人所」に代々仕えた官人の出身。伊賀守に任じられて伊賀を名乗りました。

なので父は、藤原光郷と藤原姓を名乗っています。

小山氏ゆかりの地

結城称名寺

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