大江廣元屋敷|守護・地頭設置の建議など、鎌倉幕府誕生の功労者(石碑を読む)

大江廣元屋敷|守護・地頭設置の建議など、鎌倉幕府誕生の功労者(石碑を読む)

2020-07-25

今回は鎌倉殿の13人の一人「大江広元」に関する石碑を読んでみました。
結構、辺鄙なところに家が有ったんですね、それとも、金沢街道の六浦側の防御の為?

戦国武将で有名な毛利元就。大江広元が毛利氏の祖で、毛利は相模国毛利荘から来てるとは、驚きですね。

大江廣元邸址

「大江廣元邸址」石碑の場所

石碑に書かれている文字は?

大江氏奕世學匠トシテ匡房兵法ヲ以テ義家ニ授ク
廣元ハ其ノ匡房ノ曽孫ナリ
頼朝ニ招カレテ鎌倉ニ来リ常ニ帷幄ニ待シ機密ニ参書ス幕制創定ノ功廣元ノ力興リテ多キニ居リ相模毛利荘ヲ食ム子孫依リテ毛利ヲ氏トス
シテ因縁シクモ此ノ幕府創業ノ元勲ガ七百年後ノ末裔ハ王政復古ニ倡首タリ
此ノ地即チ其ノ毛利ノ鼻祖大膳大夫ノ邸址ナリ

大正十四年三月建 鎌倉町青年團

大江氏は代々、学問に優れていることで名高い一門で、かつて、匡房兵法を源義家に授けた
大江広元は、その匡房の曽孫(ひまご)である
源頼朝に招かれて鎌倉に下向し、常に幕府内部にいて機密会議等に参画していた。幕府創定には大江広元の功績は大きく、相模の毛利荘を与えられた。その子孫は毛利氏を名乗っている。
しかし、因縁があり、その幕府創業に大きな功績が毛利氏の700年後の末裔は王政復古の指導者となった。
この場所は即ち、その毛利氏の祖、大膳大夫(大江広元)の自宅址である

※間違っていたらごめんなさい。

事前知識(漢字・用語編)

奕世:エキセイ|代々
學匠:ガクショウ|学問にすぐれていること
:ケン、あき(らか)|はっきりと目立つ、名高い
:ショウ、かつ(て)|なめる、こころみる、かつて
帷幄:いあく|幕、作戦を立てるところ、本陣
:ジ|そして、しかれども、すなわち
倡首:しょうしゅ|指導者
鼻祖:ビソ|最初に物事を始めた人、元祖

事前知識(歴史編)

大江匡房(おおえのまさふさ)

1041-1111年。平安時代後期の学者、歌人。博学。

大江広元

1148-1225年。平安~鎌倉時代にかけての朝臣。鎌倉幕府の政所初代別当。鎌倉殿の13人の一人。

毛利荘は「森庄」と呼ばれていて、神奈川県厚木市~愛甲郡一帯にある。
広元の四男季光にこの地を譲り、季光以下その子孫が毛利氏を名乗って「毛利荘」に変わった。

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