今回は鎌倉に名前を残す外国人について整理してみたいと思います。
なかなか覚えられないというか、ごっちゃになっちゃう人物がいましたので・・・。
目次
鎌倉に名を残す外国人
ロベルト・コッホ
1843~1910年。ドイツの細菌学者。
1908年、弟子の北里柴三郎の案内で極楽寺・霊山山を訪れる。
北里柴三郎は、日本の細菌学の父として知られてますよね。北里大学の創立者ですし。
また2024年の新紙幣で1000円札に描かれることも決まってます。
まあキャッシュレス時代に入ってますからどれだけ流通するのかは分かりませんけど・・・。
エルウィン・ベルツ
1849~1913年。ドイツ人医学者。
1880年(明治13年)に、「鎌倉は保養地として最適な地である」と紹介。
1884年(明治17年)長与専斎(ながよせんさい)も、「鎌倉は海水浴場として理想的な海である」と紹介。
そのため、保養地・別荘地としての鎌倉の知名度がアップする。
長与専斎
1838~1902年。 医師、内務省衛生局の初代局長。
1854年、大坂の緒方洪庵の適塾に入門。
由比ガ浜を海水浴に最適と紹介、本人も由比ガ浜に別荘を、またサナトリウム「海浜院」を開設。
※サナトリウム:長期的な療養(結核等)を必要とする人のための療養所
ラングドン・ウォーナー
1881~1955年。アメリカの東洋美術研究家。
鎌倉など古都を第二次大戦の空爆から救ったとされている。(本人は否定)
ウォーナーが空爆すべきでない地名のリストを作成し米政府に進言。という説がある。
古都保存法20周年を記念し、鎌倉駅西口前に記念碑が建っている。(2019年11月21日現在,改装工事中)
エリアナ・パブロバ
1899~1941年。ロシア人バレリーナ。日本語名「霧島エリ子」
1924年から鎌倉に住み、七里ヶ浜にバレエスクールを開設、「日本バレエ発祥の地」となる。
現在は住宅として利用されてますけど、国道134号から碑は見れますよ。
ウィリアム・カーティス
イギリス人技師。
日本人にハムの製法を伝授した人。製法を学んだ一人が富岡周蔵。
富岡周蔵
大船軒の経営者(創業者)。
1871年に欧米を視察して、のち首相になった黒田清隆(くろだきよたか|第2代内閣総理大臣)からサンドイッチの話を耳にする。
そして、カーティスからハムを仕入れ、1899年に大船駅でサンドイッチを販売。
これが人気を博したために「鎌倉ハム 富岡商会」を設立。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
1850~1904年。ギリシャ生まれ。日本国籍を取得して小泉八雲を名乗る。
1890年4月頃、米国から横浜へ上陸し鎌倉江の島へ。
高徳院の鎌倉大仏を見て「東洋的微笑」と称賛。
大異山高徳院清浄泉寺(鎌倉大仏)
鎌倉大仏(銅像阿弥陀如来坐像|国宝)で知られる。浄土宗。
境内奥に与謝野晶子の「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」の歌碑がある。
そんなに多くなかったですね。
でも、コッホとベルツがごっちゃになるんですよね。同じドイツ人で、医師と細菌学者。よく似てるし・・・。
ちなみに、鎌倉検定の過去問を研究して大切なところは太文字にしたり、関連人物を載せたりしてるのでしっかり見ておいてね!