壷井八幡宮|河内源氏3代ゆかりの神社(大阪府羽曳野市)

壷井八幡宮|河内源氏3代ゆかりの神社(大阪府羽曳野市)

今回は、清和源氏の中でも「河内源氏」と呼ばれる、源頼信、頼義、義家の三代にゆかりがある河内地方(現大阪府羽曳野市)へ行ってきました。

源頼朝の祖であり、鎌倉との関係を始めに築いた、知っておかなくていけないお方々。それを祀っている神社です。

壷井八幡宮(大阪府羽曳野市)

康平7(1064)年 源頼義が「前九年の役」の戦勝後、この地に建てたのが「壷井八幡宮」(公式)です。

最寄り駅は、近鉄南大阪線「上ノ太子」駅ですが、まあまあな距離を歩くことになります。。。
なので、車で行くのが良いと思います。壷井八幡宮には駐車場があります。

ちなみに、上ノ太子っていう地名。「上ノ太子 叡福寺」というお寺名から来ていて、聖徳太子のお墓があるお寺です。この近くには古代から「竹内街道」っていう難波と飛鳥を結ぶ官道です。

第70代「後冷泉天皇」は、源頼義を陸奥守・鎮守府将軍に任じ、1051年に起きた奥州の安倍頼時とその子「貞任・宗人」の反乱を鎮めるよう勅命(天皇の命令)を下しました。

奥州出陣に際して、源頼義は京都の石清水八幡宮に戦勝祈願し無事に敵方を平定したため、凱旋後、石清水八幡宮の御神霊を、河内のこの地(壷井八幡宮)に遷して祀ったのが始まりです。

ちなみに、鎌倉市にある「元八幡(由比若宮)」は、石清水八幡宮かここ壷井八幡宮を勧請したと考えられています。でも、石清水八幡宮でしょうけど・・・。

元八幡(由比若宮)|鎌倉&源氏のシンボル、鶴岡八幡宮の歴史はここから始まった(石碑を読む)
今回は鎌倉市内に設置されている鶴岡八幡宮の前身だった元八幡(由比若宮)の石碑を読んでみました。石碑の前に文化財の標識や棒標が立っていて、写真撮るのに苦労しました…
1192-diary.com

壷井八幡宮の御祭神は下記の3柱です。鎌倉・鶴岡八幡宮と少し違いますね。

・誉田別尊 : 第15代天皇「応神天皇」
・仲哀天皇 : 第14代天皇で応神天皇の父
・神功皇后 : 応神天皇の母、仲哀天皇の妻

例大祭 5月15日

神社の中で一番大切なお祭り「例大祭」
壷井八幡宮は毎年5月15日で、これは石清水八幡宮から神様を勧請した日になります。

河内源氏の系図

河内源氏は、多田満仲の四男「源頼信」が、この地「香呂峰(現羽曳野市)」に館を造り、寛仁2(1020)年9月から居住し、河内源氏の祖となりました。

また、平忠常の乱を平定後には、「河内守」に任ぜられています。

清和天皇
 |
貞純親王
 |
経基王
 |
源満仲(多田満仲)
 ┣-------┳-------┓
源頼光     源頼親     源頼信(河内源氏祖)
(摂津源氏)   (大和源氏)     |
                 頼義
                 ┣------┳------┳
           (八幡太郎)義家     義綱  (新羅三郎)義光
                 |            (佐竹、武田氏祖)
                 義親
                 |
                 為義
                 ┣---┳----┳------┓
                 義朝  義賢  鎮西八郎為朝  行家 
                 |   |
                 頼朝  義仲
                 |   |

清和源氏|鎌倉幕府の初代征夷大将軍、「源頼朝」の出所(先祖)を調べてみた
今回は、源頼朝の祖先をずーっと遡ってみました。どういう祖先がいて、その時の出来事や人物など、ザックリ調べて何か掴めたらいいなと。 何分、勉強途中なので、記載内容…
1192-diary.com

源氏三社

壷井八幡宮の境内にある、源頼信・頼義・義家の三将軍が祀られているのが「壷井権現社」

源氏三社の一つです。
他の二つは、京都の六孫王神社、摂津の多田社。

河内源氏ゆかりの地

壷井八幡宮から南へ歩いて10分ほどで、河内源氏の館跡や頼信・頼義・義家の三将軍のお墓などの史跡が点在してます。夏場は草木が生い茂り、大量の蚊に刺されますのでご注意を・・・。

源氏館跡

源氏三代(三人)のお墓に混じって「(河内)源氏館跡」の石碑と説明板が設置されています。
源義仲の三男頼信(初代河内源氏)が「河内守」となって、現地に下向して居館を構えて本拠地としたようですね。

その後は、3代に渡って

平忠常の乱(1028~1030) 主に、頼信
前九年の役(1051~1062) 主に、頼義
後三年の役(1083~1087) 主に、義家

と、戦乱で活躍し、関東、東北へも地盤を広げていきました。

相模国鎌倉への進出

平忠常の乱(1028~) で、桓武平氏の嫡流筋「平直方」が忠常の乱の鎮圧に失敗。
代わりに、源頼信・頼義父子が追討軍として派遣されると、忠常は降伏(頼信と主従関係にあった)しました。

平直方は、源頼義の武勇に大いに感じ入り自らの娘を嫁がせ、合わせて鎌倉の大蔵にあった邸宅・所領、郎党も譲り渡しました。

それ以降、鎌倉の大蔵亭は河内源氏の東国支配の拠点となり、三浦氏など東国武士との交流が始まり、後三年の役では、源頼家陣営に三浦為継(三浦氏2代)や鎌倉権五郎景正(鎌倉党)が加わっています。

桓武平氏良文流|藤沢市村岡地区(鎌倉郡村岡郷)の平良文(村岡五郎良文)についてまとめてみた
今回は、鎌倉時代に名をはせた「坂東平氏」の祖先を調べていくとぶち当たる「平良文」について、ゆかりの地も交えながら書いていきたいと思います。 桓武平氏略系図 桓武…
1192-diary.com

源氏三代の墓

2代 源頼義の墓(988-1075)

国指定史跡。旧通法寺の境内にひっそりと建っています。
通法寺は廃寺となっていて、旧山門?が残っていますが境内の建物は何もありません。

旧山門の横に、公衆トイレがあります。
自動車も路駐?のような形になってしまうかもしれませんが、停めるスペースが3~4台あります。

壷井八幡宮から歩いてくると、頼義の墓が一番近いです。
車はここまで。義家、頼信の墓は、少し行った丘の上にありますので、徒歩でしか行く事ができません。

大河ドラマ「炎立つ」では、源頼義役を「故佐藤慶」さんが演じられています。

3代 源義家の墓(1039-1106)

母「平直方」の長男として生まれる。7才の時に石清水八幡宮で元服したため「八幡太郎」と名乗る。
死去は、嘉承元(1106)年7月、京の邸宅(たぶん六条堀川の館)で死去し、この地に葬られた。

大河ドラマ「炎立つ」では、源頼義役を「佐藤浩市」さんが演じられています。

初代 源頼信の墓(968-1048)

義家の墓から、さらに奥まった場所に頼信の墓があります。距離にして200m。

ですが、夏場は物凄く草が生い茂っていて、お墓の周りの玉垣は見えたのですが、さらに蚊に刺されて非常に厳しそうだったため断念しました。

冬場にチャンスがあれば再度訪ねてみたいと思います。

大河ドラマ「炎立つ」

渡辺謙が主役の、奥州藤原氏を滞在にした大河ドラマ「炎立つ
前九年合戦から物語が始まり、4話目で源頼義が陸奥守に任じられる場面が出てきます。

このドラマで、奥州藤原氏側から、河内源氏(源頼義、源頼家)の事を知るのも面白いです。

渡辺謙主演 大河ドラマ 炎立つ 総集編

著:遠足プロジェクト
¥880 (2024/03/25 15:17時点 | Amazon調べ)

PAGE TOP