【私有地】新居閻魔堂跡|材木座に残る小字名の由来となったお堂跡(石碑を読む)

【私有地】新居閻魔堂跡|材木座に残る小字名の由来となったお堂跡(石碑を読む)

2023-05-10

新居閻魔堂跡

今回は新居閻魔堂跡の石碑を読んでみることにしました。
とは言うものの、今は私有地の奥にあって自由に見ることはできません。

先人方のウェブサイトなんかを参考にして、石碑に書かれていた文字を抽出し解読しました。

「新居閻魔堂跡」石碑の場所

新居閻魔堂跡石碑の場所は個人宅なので、少しぼかしますが「材木座5-11-〇〇」に存在します。

かまくら子ども風土記には、「九品寺前」交差点を左折(西向き)し、100mほど行くと、やや細い道と交差する四つ角があります。その少し先の左側の人家の奥に、とあります。

石碑に書かれている文字は?

滑川ノ下流ヲ閻魔川ト稱スルハ 往昔此ノ邊ニ閻魔堂アリシタメニ生ゼシ名ナリトイヒ 其ノ堂ハ後 山ノ内ニ移サレ 今新居山圓應寺ト唱エラルルモ 其ノ移轉ノ年代ハ詳ナラス

昭和十三年三月建 鎌倉町青年團

滑川の下流を閻魔川と呼ぶのは、昔、この辺に閻魔堂が建っていた為に生じた名前だと言い、その堂(閻魔堂)は、後に、山ノ内(北鎌倉)に移されて、今は新居山圓應寺と呼ばれているが、その移転の年代など詳しくは分かっていない。

昭和13年3月建立 鎌倉町青年団

※間違っていたらごめんなさい

事前知識(漢字・用語編)

移轉:移転|いてん

滑川(なめりかわ)

鎌倉市を流れる二級河川。
朝夷奈峠付近が源流で由比ガ浜と材木座海岸の間で相模湾に注ぐ川。

夏場、滑川に架かる橋

上流から下流に掛けて名前が変わり、鎌倉検定でも良く問われる事柄。
胡桃川・滑川・座禅川・夷堂川・炭売川・閻魔川

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閻魔橋

新居閻魔堂の石碑がある場所からは結構離れますが、今も滑川に架かっている橋の一つに「閻魔橋」と言うのが残っています。

閻魔堂の石碑がある道を真っすぐ滑川の方に歩いていくと、滑川に橋が架かっていますがそれは海岸橋。「閻魔橋」は鎌倉女学園の前にある橋です。

閻魔橋

昔の海岸線は一の鳥居の場所だったという話も聞きますから、海岸橋は近世に造られた橋なんでしょうね。

新居山円応寺

1703(元禄16)年に発生した、地震と津波によって閻魔堂が大破した為に、建長寺前の山ノ内小袋坂上に、翌年1704(宝永元)年に移されました。

円応寺の説明板にある建立と開基ですが、元々材木座にあった閻魔堂は、さらに昔、甘縄神明神社近くの「由比郷見越岩」にあり、1250(建長2)年に智覚禅師が建てた寺だと伝わっています。

移転の移転したお寺なんですね。

仏師運慶の作?

本尊の木像閻魔大王坐像は、鎌倉時代の仏師「運慶」の作と言われています。国重文。
少し笑っているように見えることから「笑い閻魔」として親しまれています。

キンモクセイ

円応寺は本堂の前に大きなキンモクセイ木があり、9月のシーズンには良いにおいが境内を覆います。

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円応寺の祭事

1月16日&8月16日 閻魔縁日(水施餓鬼) 
 地獄の釜のふたが開き、すべての餓鬼が開放される日 

鎌倉では6月3日に行われる、葛原岡神社例祭を夏祭りの先駆けと呼び、8月16日の円応寺の閻魔縁日で夏祭りが終わると言われています。

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