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大佛次郎(おさらぎじろう)
1897(明治30)-1973(昭和48)
小説家。横浜から鎌倉へ移住し、長谷、材木座、雪の下(没年まで)に住みました。
ナショナルトラスト運動を紹介し、鎌倉の風致保存に力を注ぐ。鎌倉文士。
大佛次郎の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1897(明治30)年 | 0 | 誕生(10月9日)横浜市生まれ |
18 | 第1高等学校(フランス法学科)に入学 | |
1921(大正10)年 | 24 | 結婚し、鎌倉に移り住む |
34 | 横浜ホテルニューグランドを仕事場にする | |
38 | 直木賞選考委員となる | |
64 | 渡仏、パリ燃ゆを発表する | |
1973(昭和48)年 | 75 | 死去(4月30日) |
大佛次郎記念館が開館 |
ペンネームの由来
鎌倉長谷の大仏の裏に住み、
本物の大仏を「太郎」とし、自分は謙遜して「次郎」、
北条氏の庶流、大仏流が大佛(おさらぎ)と書いて読んでいたから。

大佛次郎(おさらぎ じろう)。本名は「野尻清彦」
交友関係
里見弴(さとみ とん)
10才年上の里見弴とは仲が良かったらしく、里見弴の80才を記念して行われた野球大会で、大佛次郎と里見弴のツーショット写真が大佛次郎記念館に飾ってありました。
ちなみに、里見弴、久米正雄、大佛次郎が鎌倉文士の中でも御三家とされる。
吉野秀雄
鎌倉在住の歌人。
大佛次郎が、源実朝についての歴史小説を書くときに、和歌についていろいろ教えてもらったようです。
鏑木清方
昭和21(1946)年に、大佛次郎を中心として復刊発行された日本の大衆文芸雑誌「苦楽(くらく)」。その表紙は鏑木清方にお願いして美人画を書いてもらったそうです。
※苦楽は、鎌倉市鏑木清方記念美術館で見ることができます。
創刊号の執筆者には、小説に大佛次郎、久保田万太郎、吉屋信子、随筆には菊池寛、里見弴など。翌年、1247年には、高浜虚子が何十年ぶりの小説「虹」を発表しました。
主な作品
鞍馬天狗
幕末を舞台にした歴史小説シリーズ。「鞍馬天狗」は主人公の勤王志士が名乗る名前。
源実朝
鎌倉時代、鎌倉幕府三代将軍で和歌を愛した「源実朝」について書かれた作品。
桜子
室町時代、応仁の乱で荒廃した京を舞台に、謎の姫「桜子」を中心に描く物語。
天皇の世紀
病気のために未完作となった「天皇の世紀」。明治天皇の誕生から戊辰戦争に至る激動の時代を書いた小説。
大佛次郎ゆかりの地
旧大佛次郎茶房(野尻邸)
旧大佛次郎茶屋は「鎌倉市景観重要建築物等 指定第30号」
大佛茶廊として週末営業のカフェだったのですが、建物の維持管理が難しくなったのか休業になり、現在(令和4年4月現在)は、保存し後世に残してくれる方に売却を考えているようです。
追記 2022年5月29日
大佛次郎文学の愛好者の方が、一般社団法人大佛次郎文学保存会を設立して、買い受けたそうです。
安心ですね!



二十五坊跡(御谷)
ヨーロッパ(特にフランス)に明るかった大佛次郎は、イギリスのナショナルトラスト運動を紹介し、鶴岡八幡宮の裏山の開発を阻止。
これが、日本で初めてのナショナルトラスト運動で古都保存法成立のきっかけになりました。


二楽荘
小町通りの近くにある中華料理屋さん「二楽荘」
鶴岡八幡宮にある実朝歌碑。その除幕式の帰りに、仲間たちと二楽荘へ行って会食したと日記?に書かれていました。
二楽荘さんには、大佛次郎ゆかりの花シュウマイっていうのも売っていて、店内で食べるもよし、持ち帰りも可能です。


寿福寺(墓地)
寿福寺の墓地に大佛次郎の墓があります。
墓地の入口(源氏山への分岐地点)を、崖に向かって真っすぐ行ったところの少し囲いがしてある場所です。
その隣は「野尻政助」とあり、大佛次郎の父にあたります。


円覚寺 佛日庵
佛日庵の境内にある茶室「烟足軒(えんそくけん)」
川端康成の『千羽鶴』や立原正秋の『やぶつばき』などの小説に登場する茶室ですが、茶室の前には大佛次郎の夫人が贈った垂れ桜が植えられています。


大佛次郎記念館
大佛次郎の生まれ故郷に1978年5月に開館した記念館です。
港が見える丘公園内にあります。5~6月は記念館周辺のバラがとっても奇麗なところです。



