町屋址|中世鎌倉の中心街、鎌倉屈指の繁栄地とされた場所(石碑を読む)

町屋址|中世鎌倉の中心街、鎌倉屈指の繁栄地とされた場所(石碑を読む)

2020-05-30

今回は鎌倉市大町にある「町屋址」の石碑を読んでみました。
石碑の左上が欠けちゃってますけど・・・。

書かれている文章も短くて、解読するのに時間があまり掛からなかったのは良かった。

町屋址

「町屋址」石碑の場所

鎌倉時代の鎌倉屈指の繁栄地とされる「大町四つ角」交差点。
そこから海側に入った道沿いにありますよ!

石碑に書かれている文字は?

此邊ハ往昔ニ於ケル鎌倉繁栄當時ノ賈區ニシテ其中央ノ通ヲ大町大路ト呼ビ其他米町辻町魚町名越等ノ分アリ夫々町屋ノ在リシ所トオボシク其稱ハ々東鑑ニ見エ今ニ其名ヲ存ス

昭和十一年三月建 鎌倉町青年團

この辺は昔の鎌倉繁栄当時の商業地区でその中央の大通りを大町大路と呼び、その他、米町、辻町、魚町、名越等に分かれていてそれぞれ町屋が有ったところと思われ、その地名はたびたび「吾妻鏡」にも書かれており、今もその名前が残っている

昭和10年3月建 鎌倉町青年団

※間違ってたらごめんなさい

事前知識(漢字編)

コ、あきなう: ①買う、売る、商人 ②値段
:現在の「区」
:ク、みち: ①みち、広い四辻 ②枝分かれ道
:ル、しばしば: ①しばしば ②たびたび

事前知識(歴史編)

東鑑

「吾妻鏡(あずまかがみ)」の別の言い方。鎌倉時代に成立した日本の歴史書。

大町大路(おおまちおおじ)

鎌倉幕府の都市計画の中核を成す「六大路」の一つ。
長谷を起点に名越切通に向かう東西の基幹大路です。

鎌倉の六大路

鎌倉時代には南北3本、東西3本の六大路によって道路網が形成されていた。

<南北3本>
西側から東側へ 今大路、若宮大路、小町大路 

若宮大路(鶴岡八幡宮方面)

<東西3本>
北側から南側へ 横大路、大町大路、車大路

横大路(宝戒寺→鶴岡八幡宮方面)

「町屋址」に書かれた地名の名残

「町屋址」の石碑を読んだら、米町・辻町・魚町・名越等の地名があったんだなと、頭にとどめながら歩いていると、石碑の隣の橋の名前がなんと「魚町橋」でした!

魚町橋

さらに材木座海岸方面に歩いて行くと「辻町自治会」の掲示コーナーが。

辻町

材木座方面ではなくて、下馬交差点方面に向かって歩くと「米町」の表示。米町自治会。

「米町マフィンズ」も鎌倉市大町にある小さなマフィン屋さん。店主が米町さんじゃなければ、場所から店名を付けたことが分かりますね。

JR横須賀線の踏切には「市場踏切」の文字が、商店が多かったんでしょうか?

市場踏切

今も名越は、名越踏切、名越坂踏切、名越バス停、「名越切通し」など地名として残っていますね。

町屋址の石碑の内容を知っていると、昔の地名が今も使われていることが分かって、街歩きも楽しいですね。

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