源義円|兄頼朝の挙兵を助ける為に参陣するも、平家軍に討ち取られた人物
源義円(みなもとのぎえん) 1155-1181 平安時代末期の僧侶で、頼朝の命により援軍として陣(墨俣川の戦い)に参加したときに義円と名乗り、平家の家人・高橋…
鎌倉に住んで、働いて、食べて、走って、遊んで、記録して、整理しています
源義円(みなもとのぎえん) 1155-1181 平安時代末期の僧侶で、頼朝の命により援軍として陣(墨俣川の戦い)に参加したときに義円と名乗り、平家の家人・高橋…
平重衡(たいらのしげひら) 1157-1185平清盛の5男。母は平時子(清盛の継室)。南都焼き討ちを行った人物。 https://youtu.be/pPJGu…
源義朝(みなもとのよしとも) 1123-1160。 鎌倉幕府を創設した源頼朝の父。少年期、東国に下向し三浦氏や上総氏などと在地豪族との関係を強めた河内源氏の嫡…
安田 義定(やすだ よしさだ) 1134-1194甲斐源氏の惣領、武田信義の弟。一ノ谷の戦いでは源義経軍(搦手軍)で副大将として活躍し遠江守に。 後に勢力を持…
加賀美遠光(かがみ とおみつ) 1143-1230父「源義光」の四男で「武田信義」の弟。現在の山梨県南アルプス市にあった加賀美郷に所在する加賀美荘を本領とした…
武田信義(たけだ のぶよし) 1128-1186?新羅三郎義光の曾孫、甲斐源氏4代当主、武田氏初代当主。戦国時代に活躍した武田信玄(甲斐源氏としては19代。武…
源頼家(みなもとのよりいえ) 1182-1204鎌倉幕府第2代将軍。幼名は万寿。一時の重病時に家督を奪われ、伊豆修善寺にて殺害された。 乳母や妻が比企一族だっ…
愛甲(三郎)季隆(あいこう すえたか) 生誕不詳(1150年?)-1213。横山党。相模国愛甲郡愛甲荘(現、厚木市愛甲)の御家人。 愛甲三郎館跡を見に愛甲石田…
飯田五郎家義(いいだ いえよし) 生没年不詳渋谷重国の五男として生まれ、大庭景親の娘を娶り平家方の武士だったが、源氏方に心を寄せていて、頼朝勢を土肥のへと逃避…
波多野義通(はたのよしみち) 1107-1167。相模波多野氏の5代目。摂関家領の相模国荘を所領としていた。筑後守。保元の乱で負けた、義朝の父為朝やその子供た…
今回は、初期の鎌倉幕府の中でも、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした「畠山重忠」について、ゆかりの場所をはじめ、広く浅く纏めて…
佐原(十郎)義連(さわら よしつら) 生没年不詳。三浦義明の子(十男?)。三浦義連。鎌倉殿の13人に選ばれた、三浦義澄は兄。(かなり年齢は離れていると思われま…
今回は平安時代末期の武士、俣野景久について深堀してみました。 俣野(五郎)景久(またの かげひさ) 1147-1183。大庭景宗の四男。相模国鎌倉郡俣野郷(現…
大内惟義(おおうち これよし) 生没年不詳門葉筆頭として頼朝の信頼が厚い平賀義信の長男で、伊勢国守護に補任されたときに、伊勢国大内荘の地頭職も兼ねた頃から大内…
土屋宗遠(つちや むねとお) 1128-1218中村荘司宗平の三男で相州土屋の領主。室町時代の上杉禅秀の乱で敗走するまで土屋の地を支配した。 ※芳盛寺では土屋…
佐々木定綱(ささき さだつな) 1142-1205近江源氏佐々木氏の棟梁「佐々木秀義」の子。佐々木四兄弟の長男。頼朝の挙兵を当初から助ける。4男に宇治川の先陣…