足立遠元|頼朝の父義朝時代からの源家譜代の家人。鎌倉殿の13人。

足立遠元|頼朝の父義朝時代からの源家譜代の家人。鎌倉殿の13人。

2022-03-12

足立遠元(あだち とおもと)

生没年不詳。
足立氏の祖。武蔵国足立郡(元東京都足立区)を本拠とした在地豪族。

武士でありながら、公文所の寄人に選ばれ、京に明るい人物として京から来た客人をもてなすなど、オールマイティーな人物。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、大野泰広さんが演じられます。

足立遠元の簡易年表

時期年齢出来事
0誕生
平治元(1160)年平治の乱
右馬允に任官し、源義平率いる17騎の一人として戦う
治承4(1180)年武蔵国に入った頼朝を、武蔵武士の中で最初にお迎えする
元暦元(1184)年公文所の5人の寄人(職員)の一人に選ばれる
建久元(1190)年頼朝が上洛時、右近衛大将拝賀の布衣侍7人の内に選ばれる
奥州合戦の勲功として左衛門尉に任じられる
頼朝の死後、十三人の合議制の一人に加わる
承元元(1207)年闘鶏会参加(吾妻鏡最後の記事)

吾妻鏡より・・・

実朝の政所始とか

頼朝が亡くなってからも、2、3代鎌倉殿にしっかりと仕えています。

建仁3(1203)年10月 9日

源実朝の政所始が行われた。その後、埦飯、盃酒の儀式、その後初めて甲冑を着て馬に乗られたが、小山朝政足立遠元らが甲冑とほろを実朝の身につけた。

建仁3(1203)年10月15日

鎌倉中の寺社の奉行について改めて定められた。
(永福寺)阿弥陀堂  足立遠元 北条時房 源光行

吾妻鏡最後の記事

足立遠元が亡くなったという記事は吾妻鏡には書かれていません。
梶原氏、比企氏、畠山氏が滅ぼされた後まで生きていたことから、当初の御家人闘争には生き残っていたようです。

承元元(1207)年 3月 3日

御所の北御壺で闘鶏の会があった。
集まった人々は、北条時房、源親広、結城朝光和田義盛足立遠元、安達景盛、三浦義村、長沼宗政ら。

足立遠元の系図

下記の系図は「足立系図」「尊卑分脈」等を参考にしています。
藤原鎌足-不比等-房前、と始まっていて藤原北家流と言うことが分かります。

 ├-------┬
藤原遠兼(兄)  安達盛長(弟)
 |
足立遠元
 ├------┬------┬------┬
藤原光能妻  畠山重忠妻  北条時房妻   元春

※足立氏の系図には諸説あり、上記はその一つです。

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

足立氏ゆかりの地

館跡と伝わる場所が4か所。その三か所が桶川市です。
昔の足立郡は現在の

鴻巣市、北本市、桶川市、伊奈町、上尾市、さいたま市、戸田市、蕨市、川口市、草加市、
東京都足立区

という広大な範囲だったようです。

伝 足立遠元館跡碑

▶ 埼玉県桶川市末広2丁目8-29|🅿あり(総合福祉センター)|

4か所ある足立遠元館の推定地で、もっとも有力視されているのがこの場所(総合福祉センター)
ただ決定的な史料は見つかっていないようです。

三ッ木城跡(足立遠元館)

▶ 埼玉県桶川市川田谷2839-11|🅿あり(城山公園)|

城の居住者は定かではないようですが、足立右馬允遠元(足立遠元)や安達盛長という説があります。
現在の城山公園に突き出た台地上に存在します。

広場管理棟に城山公園のマップがあって、そこに三ツ木城跡の記載があります。

そのほか二か所の館跡は、

さいたま市西区植田谷本内、桶川市神明1丁目の諏訪雷電神社東側付近のようです。

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