公暁(くぎょう、こうきょう)
1200-1219
鎌倉幕府2代将軍「源頼家」の次男。叔父の源実朝(3代将軍)を父の敵として殺害。その後、自身も討ち取られる。幼名は善哉(ぜんざい)。乳母父は三浦義村。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、公暁(こうぎょう)を寛一郎さんが演じられます。
※上総広常を演じている、佐藤浩市さんのお子さんです。
公暁の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
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正治2(1200)年 | 0 | 誕生(父:源頼家、母は諸説あり) |
元久元(1204)年 | 5 | 父「源頼家」が、伊豆国修善寺で殺害される |
建永元(1206)年 | 7 | 着袴の儀式※を政子の御所で実施。実朝の猶子となる。 |
建暦元(1211)年 | 12 | 鶴岡八幡宮で出家し「公暁」に、修行の為に園城寺へ。 |
建保5(1217)年 | 17 | 北条政子の意向で鎌倉に戻る、鶴岡八幡宮別当に |
建保7(1219)年 | 19 | 叔父「源実朝」の右大臣拝賀の最中に、襲い掛かり首を打ち落とす |
その後、三浦義村が指図した長尾定景によって討たれた |
※着袴の儀(ちゃっこのぎ):一般の七五三にあたる行事
園城寺での修行
政子の考えもあり、公暁は父頼家の成仏を祈るために仏門に入り、17歳になるまで園城寺で修業した。
園城寺では公胤(こういん|村上源氏出身)の門弟(弟子)として入室、貞暁(頼朝の三男(庶子))の受法の弟子となった。
公暁犯行の黒幕説
この公暁による実朝暗殺にはいろいろな説が考えられています。
・公暁単独犯説
・三浦義村黒幕説
・北条義時黒幕説
・後鳥羽上皇黒幕説
各、歴史研究の方々が唱えてますが、本当のところは分かりませんよね・・・。
公暁周辺の系図
公暁は源頼家の次男 or 三男。栄実、禅暁、竹御所とは異母兄弟のようです。
源義朝 北条時政 比企尼
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源頼朝=====北条政子 比企能員 安達盛長室
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源実朝 源頼家=====若狭局 他
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| 一幡 公暁 栄実 禅暁 竹御所=====藤原頼経
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※系図の表示が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
源頼家が亡くなった当時、残された公暁は、北条政子の大切な孫にあたります。
着袴の儀式や、鎌倉へ公暁を下向させたのも北条政子の意向。
頼家を殺してしまった罪滅ぼしか、大切な孫を側に置いておきたかったのでしょうか。そのせいで実朝が暗殺されてしまいます。
北条政子が公暁を溺愛していく様子は、永井路子さんの歴史小説「炎環」に絵が描かれています。
公暁ゆかりの地
鶴岡八幡宮(大イチョウ)
雪が60cmほど降りしきる、建保7(1219)年 1月27日
源実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した時、頭巾をかぶった公暁が襲い掛かり、実朝が転倒したところを頭を切りつけて首を打ち落とした。
公暁が陰に潜んでいたと言われる、鶴岡八幡宮の大イチョウは江戸時代になってから知られるようになったらしく、当時の資料には無いようです。
大イチョウは、2010年(平成22)年3月10日の強風(風速約10m/s)で倒れてしまいました。
園城寺(三井寺)
公暁が修行した滋賀県にある園城寺三井寺。
新羅三郎義光が元服(源義光は三井寺新羅善神堂で)したり、以仁王を匿ったり、と源氏ゆかりの寺院。
比叡山とは仲が悪く、度々諍いを起こしていた。