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平徳子(建礼門院)
1155-1214 平清盛の娘にして、高倉天皇の皇后、安徳天皇の母
父清盛が亡くなってからは、高倉天皇も病死、平家一門も滅亡に向かい、子の安徳天皇も水死。
母や兄弟、夫も亡くなった後は、京都大原の質素な場所で隠棲し菩提を弔いながら生涯を過ごした悲劇のヒロインです。
大河ドラマ「平清盛」では、二階堂ふみさんが演じられました。
アニメ「平家物語」では、早見沙織さんがCVを担当しました。
平徳子の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
久寿2(1155)年 | 0 | 誕生(父:平清盛、母:平時子) |
承安2(1172)年 | 16 | 高倉天皇と結婚(立后) |
治承2(1178)年 | 22 | 皇子を出産(後の安徳天皇) |
治承5(1181)年 | 25 | 配偶者(夫)の高倉上皇が崩御(享年21歳) |
元暦2(1185)年 | 29 | 壇ノ浦の戦い 平家滅亡。入水自殺をするも源氏軍に救助される |
出家し、大原寂光院に入る | ||
文治2(1186)年 | 30 | 大原御幸 後白河法皇らがお忍びで大原の閑居を訪れる |
建保元(1213)年 | 58 | 崩御 ※諸説あり |
壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦いで源氏軍との戦いで負けと悟った平家軍は次々と入水自殺をするも、平徳子は幸か不幸か源氏軍に助けられます。
元暦2(1185)年3月24日
午の刻(正午頃)になって平家方の敗戦が濃厚に。平時子(ニ品禅尼)は草薙の剣を持ち、按察局が8歳の安徳天皇を抱き、海底に没した。藤の重ねの御衣を着た建礼門院徳子は入水したところを、渡辺党の武士が熊手で引き上げた。
※按察局(あぜちのつぼね|誰か不明だが平家一門に従う女房。最終的には生存)
大原御幸
寂光院に隠棲している建礼門院を、ひっそりと後白河法皇が訪問する大原御幸。
平家物語の灌頂巻に書かれているものの、真偽は不明だそう。
平徳子周辺の系図
平清盛を天皇の祖父にした、平家一門の為に動いた女性です。
┏----┓
平清盛===平時子 平滋子====後白河天皇
┏----┻-----┓ |
平重盛 平宗盛 平徳子=======高倉天皇
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平維盛 安徳天皇 後鳥羽天皇
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
平徳子ゆかりの地
寂光院
▶ 京都府京都市左京区大原草生町676 | 🅿あり | 拝観料600円
京都大原にある寂光院は、もともと聖徳太子が父の用明天皇の菩提を弔う為に建立。
平家滅亡後、高倉天皇の皇后「建礼門院(平徳子)」が余生を過ごした場所で有名になりました。
建礼門院はココで、平家一門と子の安徳天皇の菩提を弔いました。
建礼門院御庵室跡
寂光院に入った建礼門院の庵室跡。
一丈四方(畳四畳半)の仏間と寝所に、数人の女房で暮らしており、後白河法皇がお忍びで訪ねてきたときに、昔の栄華と比べられないほど質素なため、法皇と会うのを躊躇ったほど。
寂光院の説明では、建礼門院は建久2(1191)年2月中旬に亡くなったとしています。
建礼門院 御陵
寂光院の隣にある建礼門院の大原西陵。
階段を登った上にひっそりとあります。宮内庁管理。
朧の清水
大原バス停から寂光院へ向かう道の途中にある小さな泉です。