八雲神社(大町)|かつて、鎌倉の祇園祭が行われた大町の鎮守社

八雲神社(大町)|かつて、鎌倉の祇園祭が行われた大町の鎮守社

2023-02-03

八雲神社縁起

永保年間(1081~1084)、鎌倉では疫病が流行して民が苦しんでいました。

そんな時、(源)新羅三郎義光が兄の(源)八幡太郎義家による奥州攻め「後三年合戦」の助勢に向かう途中、鎌倉に立ち寄り、疫病が流行っていることを知った義光は、これを救う為、京都祇園社(現、八坂神社)の祭神を勧請したのが始まりとされています。

八雲神社略記

京都祇園社を勧請したのは、ココで祀っている神様が疫病除けの神だったからです。

八雲神社のご祭神

八雲神社のご祭神は、須佐之男命、稲田姫、八王子命、佐竹氏の霊です。
後から合祀した佐竹氏の霊を除いて、三柱は勧請元の八坂神社と同じご祭神です。

須佐之男命は天照大御神の弟、稲田姫は須佐之男命の妻、八王子命とは、二人の八人の子供たち。

   イザナギ===イザナミ
  ┏-----╋-----┓
天照大御神  月読命  須佐之男命===稲田姫
                  |
                 八王子(八人の子たち)

※稲田姫は櫛稲田姫命、八王子命は八柱御子神とか、別称があるので混乱しない様に

須佐之男命と牛頭天王

牛頭天王については、後述していますが、八雲神社の大元「八坂神社」の祭神。
釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神で、日本における神仏習合では須佐之男命と同一視されました。

この辺から、八坂神社が祇園社、天王社と呼ばれる謂れが来てそうです。

牛頭天王は日本では疫神の代表格とされ、その力で、その他もろもろの御霊(疫病を起こす神)たちを鎮めようと、祇園祭(祇園御霊会)を平安時代から行いました。

新羅三郎義光が勧請

本名は「源義光」
河内源氏2代目「源頼義」の三男。近江国の新羅明神で元服したことで、新羅三郎義光と称しました。

源義家からは源頼朝、足利一族が、源義光からは、佐竹一族や甲斐源氏、平賀一族などが出ています。

 |
源頼義(河内源氏
 ├-------------------┐
 義家(1039)              義光(1045)
 ├--------┬          ├-------┬------┬
 義親(?)      義国(1091)     義業(1067)  義清(1075)  盛義(?)
 |        |          (佐竹氏)   (甲斐源氏)    |(平賀氏)
 為義(1096)    足利義康(1127)                 平賀義信(1143)
 |        |                         ├------┐
 義朝(1123)    足利義兼(1154)                 大内惟義    平賀朝雅
 |        |
 頼朝(1147)     義氏(1189)

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新羅三郎手玉石

明治維新で改称

明治時代に入り廃仏毀釈が行われ、仏教的な名称は変更を余儀なくされました。
大町神社も、昔は鎌倉祇園社、祇園天王社と呼ばれていたそうです。

※祇園=祇園精舎、天王=牛頭天王、ともに仏教の用語です

大町八雲神社の祭礼

正月6日 鎌倉神楽

午後3時から(約1時間15分程度)境内で行われる祭礼。
別名:湯立神楽、湯花神楽とも。市指定無形文化財。

鎌倉検定本には、下記のように書いてあります。

釜に湯をたぎらせ、山飾りを立て、その「山」の内で、現在では神職が舞い、神楽が奉納される。

この鎌倉神楽では、「山」の内ではなくて、本殿の中で奉納していました。
最後は、参拝者の山飾りの取り合いで終了。。。

7月7~14日の間の土曜日から三日間 八雲神社例祭(大町まつり)

鎌倉の祇園祭。
八雲神社例祭は大町まつりとして地元の住民に親しまれています。

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鎌倉における天王と付く神社

鎌倉市内の神社には、(牛頭)天王という名称が残っている神社が数か所あります。
大町八雲神社のように、祭神や勧請元を確認していけば、神社の背景が分かるかもしれません。

八坂大神(扇ガ谷)

千葉常胤の二男「相馬次郎師常」が自宅の守り神として勧請。別名「相馬天王

八坂大神

八雲神社(山ノ内)

「新編相模国風土記稿」に、1224年疫病が流行った時に京都祇園社の神霊を勧請したと。

八雲神社

小動神社(腰越)

御家人の佐々木盛綱が、祖父の領地近江国の八王子社を勧請したのが始まり。7月に天王祭を行う。

小動神社

京都祇園社(現,八坂神社)

八雲神社の勧請元は、京都の八坂神社です。

八坂神社(京都東山区)

斉明天皇2(656)年に、高麗から来た八坂氏の祖「伊利之(いりし)」が、新羅国牛頭山(ごずさん)の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊を八坂郷に祀ったと伝わっています。

これで八坂というのは昔の地名だということ、牛頭は新羅から来た名称ということが分かります。

古くから疫病除けの神として崇敬されました。
今でも7月に行われる「祇園祭」は悪疫退散を祈願する祭礼です。

津島牛頭天王社(現、津島神社)

愛知県津島市に鎮座する津島神社は、神仏習合時代に牛頭天王を祀っていた神社で全国天王総本社。全国に3000の分霊社があります。

西の八坂神社、東の津島神社と謳われたそう。

ちなみに、織田信長は津島のすぐそばの勝幡というところで生まれ、尾張津島天王祭を愛したそうです。津島神社の社紋は織田家の家紋と同じ「木瓜紋」。この辺からも、織田信長が津島神社を深く信仰していたことが分かりそうですね。

八雲神社(大町)の場所、アクセス

JR鎌倉駅から、徒歩10分程度

鎌倉散策に役立つ本

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