今回は妙本寺にある「比企能員(ひき よしかず)」関連の石碑を読んでみました。
妙本寺って本堂へ向かう参道が長くて雰囲気があって、どちらかというと京都っぽいお寺で大好きです。
鎌倉の中で妙本寺が好きって方も沢山いらっしゃいますね!
目次
比企能員邸址
「比企能員邸址」石碑の場所は?
石碑に書かれている文字は?
能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ禪尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ此ノ地比企ヶ谷の名アルモ之ニ基ク
能員ノ女頼家ノ寵ヲ受ケ若狭局ト偁シ子一幡ヲ生ム
建仁三年頼家疾ムヤ母政子関西ノ地頭職ヲ分チテ頼家ノ弟千幡ニ授ケントス
能員之ヲ憤リ密ニ北條氏ヲ除カント謀ル
謀泄レテ卻ツテ北條氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル
大正十二年三月 鎌倉町青年團建
能員は源頼朝の乳母「比企禅尼」の養子で、禅尼と一緒にこの地に住んでいた、この場所は比企ヶ谷の名前があるのは「比企禅尼」が由来となっている
比企能員の娘は源頼家の寵愛を受け若狭局と呼び、一幡(男)を生んだ
1203年(建仁3年)頼家が病気になると、母政子は関西の地頭職を分けて頼家の弟千幡(実朝)に授けた
能員はこれに怒りひそかに北条氏を滅ぼそうと計画するが、漏れて、逆に北条一族にこの地で滅ぼされてしまった。
大正12年3月 鎌倉町青年団建
※間違っていたらごめんなさい
事前知識(漢字・用語編)
泄:セツ、も|もれる、もらす
卻:キャク、かえ|反対に、しりぞく、拒む
事前知識(歴史編)
比企尼
生没年不詳。源頼朝の乳母。
娘の丹後内侍は安達盛長の妻。比企尼は娘婿の盛長に頼朝の奉仕を命じている。
2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、比企尼を演じるのは「草笛光子」
建仁三年
1203年。けんにん。1201-1204年。
土御門天皇、後鳥羽上皇(院政)、源頼家・実朝(将軍)、北条時政(執権)の時代
比企能員(ひき よしかず)
生誕?-1203年。御家人。頼朝乳母の比企尼の甥。のちに養子。
娘の若狭局が頼家の側室となり、2代将軍「源頼家」の乳母父となる。
2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、比企能員を演じるのは「佐藤二朗」
比企能員の妻「道」を演じるのは「堀内敬子」
長興山 妙本寺
日蓮宗。1260年創建。開山は日蓮。
開基は比企能員の子「比企能本(ひき よしもと)」比企能員の乱では2才だったので除名され安房国へ配流。
能本は1253年(建長5年)日蓮に帰依し、邸を喜捨。妙本寺が創建された。