源義経|一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした功労者。頼朝の異母弟。

源義経|一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした功労者。頼朝の異母弟。

2023-09-19

源義経(みなもと の よしつね)

1159-1189

源頼朝の異母弟。一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした最大の功労者も、頼朝の意向に反する行動が絶えず怒りを買い対立し、最後は朝敵となった。

最後は奥州に逃れたが、当主「藤原泰衡」に攻められて自害した。

源義経の簡易年表

時期年齢出来事
平治元(1159)年0誕生(義朝9男、母は常盤御前)
11鞍馬寺に預けられる
承安4(1174)年16僧になることを拒否し、藤原秀衡を頼り平泉へ
治承4(1180)年22黄瀬川の陣で兄「頼朝」と対面
寿永3(1184)年
 1月
26宇治川の戦い
木曽義仲軍を破って入京する
寿永3(1184)年
 2月
一ノ谷の戦い
鵯越の逆落とし等、活躍し平家軍を破る
元暦2(1185)年
 3月
27 屋島の戦い、壇ノ浦の戦い
逆櫓の論争、壇ノ浦合戦を経て、平家が滅亡する
元暦2(1185)年
 5月
満福寺(鎌倉)にて腰越状を書く
元暦2(1185)年
 11月
頼朝に追われ大物浜から船出を試み失敗。
吉野に身を隠すも、静御前(妾)が取らえられて鎌倉へ
文治3(1187)年29京都に居られなくなったため、藤原秀衡を頼り奥州へ
文治5(1189)年31藤原泰衡に攻められ自害

源義経周辺の系図

義経の父「源義朝」には9人の男子がいます。

                   |
   由良御前(正室)=======源義朝=========常盤御前
 ┌---┬------+------┬-----┤
 |   |      |      |     ├----┬----┐        
源義平  朝長     頼朝     範頼    全成   義円   義経
            ├---┐
            頼家  実朝

正室の由良御前から生まれたのが「源頼朝」
妾の常盤御前から生まれたのが「源義経」です。頼朝とは異母兄の関係になります。

義経の同母兄弟

同母兄弟には、阿野全成、源義円がいます。
源義円は源平墨俣川の合戦で命を落としました。

源平墨俣川古戦場|義経の兄「義円(乙若丸)」が戦死した源平合戦の一つ
源平墨俣川の戦い(治承・寿永の乱) 治承5(1181)年3月10日長良川をはさんで源平の大激戦が展開されたのが、源平墨俣川の合戦。 源氏方の中心人物は、源行家(…
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源義経関係の系図

                               比企尼
                                |
              源義朝       河越重頼===河越尼(次女)
               |          |
   静御前(妾)=====源義経=======郷御前(正室)
           |
           男児

静御前との男児

文治2(1186年)7月29日

出産するまで鎌倉に留め置かれた、静御前が男子(義経の子)を出産した。

今、義経は謀反を企てて逃亡しているので、子が女子なら母に与えられ、子が男子なら将来を恐れずにはいられない為に幼少の時に命を断つのが良いと頼朝は決めていた。

これに寄り、本日、安達清経に命じにて赤子を由比浦に棄てさせた。(吾妻鏡より)

源義経ゆかりの地

逆櫓の松跡(大阪市福島区)

逆櫓の松跡(大阪市福島区)|源義経と梶原景時の争い、源平合戦の一コマ
逆櫓(さかろ)の論争 逆櫓の論争については、平家物語と吾妻鏡の記載内容が異なります。平家物語は、史実を基にしたフィクションなので、吾妻鏡の方が事実なのでしょう。…
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義経宿陣之跡(萬福寺)

義経宿陣之跡|鎌倉へ入れない源義経、腰越状で有名な満福寺(石碑を読む)
今回は腰越の満福寺にある「義経宿陣之趾」の石碑を読んでみました。 石碑の多くは鎌倉中心部にあるのですが、腰越っていう鎌倉から結構離れた場所(今でもすぐ横が藤沢市…
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大物浜(兵庫県尼崎市)

大物浜(兵庫県尼崎市)|兄頼朝から逃れるために船出を図った、源義経ゆかりの地
大物(だいもつ) 阪神電車尼崎駅の一つ隣にある「大物駅」。普通電車しか止まらないローカルな駅ですが、源義経ゆかりの地でもありました。 大物側緑地に設置されている…
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