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源義経(みなもと の よしつね)
1159-1189
源頼朝の異母弟。一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした最大の功労者も、頼朝の意向に反する行動が絶えず怒りを買い対立し、最後は朝敵となった。
最後は奥州に逃れたが、当主「藤原泰衡」に攻められて自害した。
源義経の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
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平治元(1159)年 | 0 | 誕生(義朝9男、母は常盤御前) |
11 | 鞍馬寺に預けられる | |
承安4(1174)年 | 16 | 僧になることを拒否し、藤原秀衡を頼り平泉へ |
治承4(1180)年 | 22 | 黄瀬川の陣で兄「頼朝」と対面 |
寿永3(1184)年 1月 | 26 | 宇治川の戦い 木曽義仲軍を破って入京する |
寿永3(1184)年 2月 | 一ノ谷の戦い、 鵯越の逆落とし等、活躍し平家軍を破る | |
元暦2(1185)年 3月 | 27 | 屋島の戦い、壇ノ浦の戦い 逆櫓の論争、壇ノ浦合戦を経て、平家が滅亡する |
元暦2(1185)年 5月 | 満福寺(鎌倉)にて腰越状を書く | |
元暦2(1185)年 11月 | 頼朝に追われ大物浜から船出を試み失敗。 吉野に身を隠すも、静御前(妾)が取らえられて鎌倉へ | |
文治3(1187)年 | 29 | 京都に居られなくなったため、藤原秀衡を頼り奥州へ |
文治5(1189)年 | 31 | 藤原泰衡に攻められ自害 |
源義経周辺の系図
義経の父「源義朝」には9人の男子がいます。
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由良御前(正室)=======源義朝=========常盤御前
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源義平 朝長 頼朝 範頼 全成 義円 義経
├---┐
頼家 実朝
正室の由良御前から生まれたのが「源頼朝」
妾の常盤御前から生まれたのが「源義経」です。頼朝とは異母兄の関係になります。
義経の同母兄弟
同母兄弟には、阿野全成、源義円がいます。
源義円は源平墨俣川の合戦で命を落としました。
源義経関係の系図
比企尼
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源義朝 河越重頼===河越尼(次女)
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静御前(妾)=====源義経=======郷御前(正室)
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男児
静御前との男児
文治2(1186年)7月29日
出産するまで鎌倉に留め置かれた、静御前が男子(義経の子)を出産した。
今、義経は謀反を企てて逃亡しているので、子が女子なら母に与えられ、子が男子なら将来を恐れずにはいられない為に幼少の時に命を断つのが良いと頼朝は決めていた。
これに寄り、本日、安達清経に命じにて赤子を由比浦に棄てさせた。(吾妻鏡より)