平賀朝雅(ひらが ともまさ)
生誕不詳-1205。武蔵守。
北条時政の後妻(牧の方)の娘婿。北条家内と対立して殺害された。
上記の「幻の将軍(著:火坂雅志)」には、平賀朝雅についての小説が掲載されています。
牧の方にそそのかされて、その気になっていく平賀朝雅。面白いです。
平賀朝雅の簡易年表
平賀朝雅が、最初に吾妻鏡に登場するのは正治2(1200)年2月26日。
源頼朝が亡くなり、御家人同士の勢力争いによる闘争が始まった時期でしたが、朝雅の将軍擁立を企んだ時政失脚(牧氏事件)でそうそうに姿を消します。
時期 | 年齢 | 出来事 |
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不詳 | 0 | 誕生(父:平賀義信、母:比企尼の三女) |
比企一族の母が死去。 | ||
建仁3(1203)年 | 比企能員の変 北条氏側として比企氏討伐軍に加わる。 | |
京都守護として、都に派遣 伊勢国・伊賀国の三日平氏の乱を山内首藤経俊に代わり鎮圧 | ||
元久元(1204)年 | 京の邸宅で、上洛していた畠山重保と口論 | |
元久2(1205)年 | 畠山重忠の乱で、畠山重忠・重保親子が討伐される | |
北条時政が失脚(牧氏事件) 義時が山内首藤経俊の子に平賀朝雅の殺害を命令。 |
平賀朝雅周辺の系図
平賀朝雅は、源氏の流れを汲みつつ、比企氏と北条氏とも姻戚関係に。
比企氏 vs 北条氏 の構図だった比企能員の乱では、妻方の北条氏側について、比企一族を滅ぼしています。
源盛義
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平賀義信=======比企尼の三女 北条時政====牧の方(継室)
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大内惟義 平賀朝雅========北条時政の娘
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
清和源氏からみた系図
平賀氏は、八幡太郎義家の弟新羅三郎義光の流れを汲んでいます。
新羅三郎義光とは、後三年の役で、清原家衡に対して苦戦する兄義家に加勢をした義家の弟(頼義の三男)
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源頼義(河内源氏)
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義家 義光
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義親 義国 義業 義清 盛義
| | (佐竹氏) (甲斐源氏) |
為義 足利義康 平賀義信
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義朝 足利義兼 大内惟義 平賀朝雅
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頼朝 義氏
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