平賀朝雅|北条時政と共に、実朝の代わりに鎌倉殿を目指した源氏門葉

2021-08-22

平賀朝雅(ひらが ともまさ)

生誕不詳-1205。武蔵守。
北条時政の後妻(牧の方)の娘婿。北条家内と対立して殺害された。

上記の「幻の将軍(著:火坂雅志)」には、平賀朝雅についての小説が掲載されています。
牧の方にそそのかされて、その気になっていく平賀朝雅。面白いです。

平賀朝雅の簡易年表

平賀朝雅が、最初に吾妻鏡に登場するのは正治2(1200)年2月26日。

源頼朝が亡くなり、御家人同士の勢力争いによる闘争が始まった時期でしたが、朝雅の将軍擁立を企んだ時政失脚(牧氏事件)でそうそうに姿を消します。

時期年齢出来事
不詳0誕生(父:平賀義信、母:比企尼の三女)
比企一族の母が死去。
建仁3(1203)年比企能員の変
北条氏側として比企氏討伐軍に加わる。
京都守護として、都に派遣
伊勢国・伊賀国の三日平氏の乱を山内首藤経俊に代わり鎮圧
元久元(1204)年京の邸宅で、上洛していた畠山重保と口論
元久2(1205)年畠山重忠の乱で、畠山重忠・重保親子が討伐される
北条時政が失脚(牧氏事件)
義時が山内首藤経俊の子に平賀朝雅の殺害を命令。

平賀朝雅周辺の系図

平賀朝雅は、源氏の流れを汲みつつ、比企氏と北条氏とも姻戚関係に。
比企氏 vs 北条氏 の構図だった比企能員の乱では、妻方の北条氏側について、比企一族を滅ぼしています。

源盛義
 |
平賀義信=======比企尼の三女   北条時政====牧の方(継室)
 |     └-----┐            |
大内惟義        平賀朝雅========北条時政の娘

※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください

清和源氏からみた系図

平賀氏は、八幡太郎義家の弟新羅三郎義光の流れを汲んでいます。
新羅三郎義光とは、後三年の役で、清原家衡に対して苦戦する兄義家に加勢をした義家の弟(頼義の三男)

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源頼義(河内源氏
 ├------------┐
 義家          義光
 ├-----┬      ├-----┬------┬
 義親   義国     義業     義清     盛義
 |     |    (佐竹氏)   (甲斐源氏)    |
 為義   足利義康                 平賀義信
 |     |                   ├-------┐
 義朝   足利義兼                 大内惟義   平賀朝雅
 |     |
 頼朝   義氏

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