稲瀬川|源頼朝から新田義貞まで、鎌倉時代の歴史が詰まった小さな小川(石碑を読む)

稲瀬川|源頼朝から新田義貞まで、鎌倉時代の歴史が詰まった小さな小川(石碑を読む)

2020-07-23

今回は由比ガ浜に注ぐ小さな稲瀬川の石碑を読んでみました。
鎌倉の歴史などに疎かったら、用水路じゃないかと思うくらいの川です。

そしてこの石碑、二か所、年代が間違っています。昔の人って、結構適当だったんですねー。

稲瀬川

「稲瀬川」石碑の場所

稲瀬川河口付近には、6月くらいになるとハマヒルガオが群生します。

石碑に書かれている文字は?

萬葉ニ鎌倉ノ美奈能瀬河トアルハ此ノ河ナリ
治承四年十月政子鎌倉ニ入ラントシテ来リ日並ノ都合ヨリ数日ノ間此ノ河邉ノ民家ニ逗留セル事アリ
頼朝ガ元暦九年範頼ノ出陣ヲ見送リタルモ正治元年義朝ノ遺骨ヲ出迎ヘタルモ共ニ此ノ川邉ナリ
元弘三年義貞ガ當手ノ大将大館宗氏ノ此ノ川邉ニ於テ討死セルモ人ノ知ル所
細キ流ニモ之ニ結バル物語少ナカラザルナリ

大正十二年三月建 鎌倉町青年團建

万葉集に鎌倉の美奈の瀬川とあるのは、この川のことである。
1180年(治承4年)10月、北条政子が鎌倉に入ろうとしたときに、日並びの都合(昔は気にした)により数日間、この川辺の民家に滞在したことがある
源頼朝が1184年(元暦元年)源範頼の出陣を見送ったのも、1185年(文治元年)義朝の遺骨を出迎えたのも、共にこの川辺である
1333年(元弘3年)新田義貞軍の大将「大館宗氏」がこの川辺で討死にしたことも多くの人が知る話である
細い流れの川だが、まつわる物語は少なくない

大正12年3月建 鎌倉町青年団

※間違っていたらごめんなさい。

事前知識(漢字・用語編)

逗留:とうりゅう|滞在

事前知識(歴史編)

治承四年

1180年。じしょう。1177-1181年。高倉天皇、安徳天皇の時代。

元暦九年(正しくは元暦元年)

1184年。げんりゃく。1184-1185年。後白河法皇後鳥羽天皇の時代

正治元年(正しくは文治元年)

1185年。ぶんじ。1185-1190年。後白河法皇後鳥羽天皇の時代

元弘三年

1333年。げんこう。1331-1334年。後醍醐天皇、守邦親王(将軍)、北条守時(執権)の時代

鎌倉における万葉集

万葉集には、鎌倉ゆかりの歌が四首掲載されています。そのうち1首がこの稲瀬川(美奈の瀬川)。

まかなしみ さ寝に我は行く 鎌倉の 水無瀬川に 潮満つなむか | ⑭ 3366 東歌


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大館宗氏は新田氏の支族。
1333年の鎌倉攻めでは、極楽寺切通し突入部隊の大将を任されて、鎌倉幕府軍「大仏貞直」と激突。

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